まいど、あーくんです。
私は現在、自称「サイドFIRE中」のおっさんです。
そして今、現在の仕事を廃業して、完全FIREに向けて準備中です。
そんな私ですが、ふと思いました。
「そういえば、なんでブログタイトルを『あーくんのセミリタイアへの道』にしたんだろう?」
今やろうとしているFIRE(完全リタイア)ではなく、セミリタイア(サイドFIRE)。
改めて今回は、その理由を書いてみようと思います。
結論から言えば、ものすごく単純です。
当時の私にとって、完全FIREはハードルが高すぎたからです。
そして、もう一つ。
このブログを始めた約10年前は、そもそも今のように「FIRE」という言葉が一般的ではありませんでした。
さらに言えば、私自身も最初から完全リタイアを目指していたわけではありません。
むしろ、
「完全FIREなんて、自分には無理だろう」
そう思っていました。
★完全FIREなんて無理だと思っていた
私が本気でセミリタイアを目指し始めたのは2016年頃。
当時の金融資産は、確か1,400万円に届くかどうかくらいでした。
ただ、セミリタイアを目指す前から、私は貯蓄や資産運用が大好きな人間でした。
一方で、株式投資はほとんどやっていません。
やっていたとしても、本当に余裕資金で少しやる程度。
なぜなら、父親が株などの投資で大きく損をしているのを知っていたからです。
いつも手元にお金がない父親。
そんな姿を見て育った私は、
「投資なんてギャンブル」
くらいに思っていました。
だから当時の私にとって、お金を増やす方法は一つ。
仕事を頑張って、出世して、給料を上げる。
これしかありませんでした。
滅私奉公です(笑)。
これが唯一確実にお金を増やす方法でした。
★小さな会社の社長になって分かった「働き続ける」ということ
特別な能力もなく、就職氷河期世代だった私は、特に好きでもない仕事を一生懸命やりました。
そして、小さな会社ではありますが、最終的には雇われ社長の立場まで行きました。
小さな会社なので、社長と言っても大企業の社長とは全然違います。
それでも全盛期には年収1,000万円近くまでいきました。
「これだけ稼げれば十分じゃないか」
と思われるかもしれません。
でも……
メチャクチャしんどかった。
身体的にもそうですが、それ以上に精神的にきつかったことを覚えています。
納期の催促。
クレーム対応。
従業員だけでは処理できない問題への対応。
そういうことが起きれば、最後は私が陣頭指揮を取るしかありません。
アパレル関連の仕事は、外から見ると華やかに聞こえるかもしれません。
でも実際は、なかなかハードです。
今ほどコンプライアンスが厳しくなかった時代なので、パワハラやモラハラなんてものも珍しくありませんでした。
30代半ばくらいまでは、夜中に仕事の夢を見て、うなされることもよくありました(笑)。
仕事内容そのものも辛かった。
でも、それ以上に辛くなっていったのが、会社そのものへの不満でした。
私が社長をしていた頃は、売上の6~7割、利益の7~8割を、ほぼ私一人で稼いでいました。
さらに経営戦略、新規事業の計画、立案、実行まで、ほとんど一人でやっていました。
もちろん社員にも頑張ってもらおうとしました。
発破もかけました。
自分が率先して仕事もしました。
給料を上げることもしました。
それでも、なかなか思うような成果が出ない。
私はカリスマ性が皆無なので(笑)、人を動かすのも得意ではありません。
でも、社員を雇っている以上、会社を維持するためには利益を出し続けなければならない。
一従業員だった頃には、それほど気にしていなかった会社全体の売上や利益が、社長になると最優先になります。
結果として、
「自分の給料」
「社員の給料」
「会長の給料」
その他の経費。
これらを含めた会社全体の利益を、ほぼ自分が背負っているような感覚になっていきました。
最初はやる気満々でした。
「会社をもっと良くしよう」
「もっと利益を出そう」
そう思って頑張っていました。
ところが、いつの間にか精神的におかしくなっていきました。
「俺は何のために、ここまで命を削って働いているんだ?」
そう思うようになったんです。
私は人の上に立つ、社長の器では無かったんですよね(苦笑)
★そこで初めて「セミリタイア」という世界を知った
「なんか最近おかしいな」
そう思いながらも、旅行に行ったり、近所の大きな公園に行ったりして、なんとかストレスを発散していました。
でも、一向に楽になりません。
そこで病院に行ったり、ネットで同じような症状の人を調べたりするようになりました。
すると、ある人のブログをきっかけに、今度は「リタイア」「セミリタイア」という世界にたどり着きました。
それまで、そんな生き方を考えたことすらありませんでした。
会社を辞めて早期リタイアする。
あるいは、ある程度の資産を作って、少しだけ働きながら生活するセミリタイア。
「こんな考え方があるのか……」
当時の私には、かなり衝撃的でした。
それまでの私は、
「人間は定年まで働くもの」
くらいに思っていました。
資産運用だって、お金持ちの道楽か、余裕資金を使って定期預金より少しマシな運用をする程度だと思っていました。
下手をすれば資産が大きく減るリスク。
だから普通の人間は、ひたすら働いて、定年まで頑張る。
そして、定年後に年金をもらって暮らす。
それが当たり前だと思っていたんです。
ところが、リタイアした人たちのブログを読んでみると、意外なことに普通のサラリーマンでもリタイアしている人がゴロゴロいる。
「どうやっているんだ?」
そう思って調べてみると、ほとんどの人が投資をしていました。
株式投資だったり、不動産投資だったり。
そこで初めて、
「資産を働かせる」
という考え方を知りました。
FIREやサイドFIREはこれまでの私の中の価値観と言う枠組みから外に出ている(常識外)人たちに見えました。
ちなみに当時のセミリタイアブログ界隈は、黎明期で今よりかなり自由でした(笑)。
「その資産で本当に大丈夫なの?」
と思うような状態で会社を辞めて、「自由だ!」と叫んでいる人もたくさんいました。(みんないなくなりましたけど💦)
会社を辞めてアルバイトを始めたものの、周囲から馬鹿にされて毎日が辛い……なんてブログもありました。
今振り返ると、かなりカオスな世界でした(笑)。
当時はまだ定義や概念が曖昧でしたから、「これは違うだろ」みたいな人たちも沢山いました。
でも、その中でとても参考になる優良なブログも多数ありました。
その世界を見ているうちに、私の中で一つの考えが生まれました。
「自分にもできるかもしれない」
というより、
「もう、これしか逃げ道がないんじゃないか」
という感覚でした。
★私がセミリタイアを目指した本当の理由
私が最初にセミリタイアを目指した理由。
それは、
「逃げ道を用意すること」
でした。
別に仕事が嫌だから遊びたい、というだけではありません。
「いつでも辞められる」
という状態を作りたかったんです。
会社がどうなっても、自分の人生まで巻き込まれないようにする。
それが最初の目的でした。
保険みたいなもんです。
そして、このブログを始めた理由も同じです。
途中で投げ出さないようにするため。
自分で「セミリタイアを目指します」と公言する。
そうすることで、自分自身を追い込む。
諦めない。
途中でやめない。
そのためにブログを始めました。
★なぜ「あーくんのセミリタイアへの道」なのか?
ここで本題です。
なぜ「完全FIREへの道」ではなく、
「あーくんのセミリタイアへの道」
だったのか。
答えは単純です。
当時の私にとって、完全FIREはハードルが高すぎたからです。
投資を始める前、私は積立貯蓄だけで1,000万円以上を貯めました。
その期間は約10年以上。
当時は給料も上がっていき、業界の景気も上昇基調でした。
それでも10年以上かかっています。
投資を知らなかった当時の私が計算すると、
「完全リタイアするには最低でも5,000万円くらい必要だろう」
と思いました。
そして、
「このペースで5,000万円なんて、60歳くらいまで働かないと無理じゃないか?」
となる。
早期退職なんて、とても現実的ではありません。
だから、最初に設定した目標は、
40代で金融資産3,000万円。
これでも当時の私にとっては、かなり高い目標でした。
この頃にはすでに社長でした。
収入もそれなりにありました。
それでも普通に積立貯蓄だけで考えれば、3,000万円に到達するまで5年以上はかかります。
投資を始めたとしても、
「投資で資産が何倍にもなる」
なんて考えていません。
せいぜい、
「上手くいけば数%くらい上乗せできるかな」
程度です。
目標達成が1年くらい前倒しになれば十分。
当時の私にとって、投資とはその程度のものでした。
だから完全FIREなんて、計算上はほぼ不可能。
それが当時の私の感覚でした。
★2000~3000万円では「複利」をほとんど感じなかった
実際に投資を始めてみても、最初の頃はそんなに劇的な変化を感じませんでした。
私の感覚では、
2,000~3,000万円くらいまでは、複利の凄さなんてほとんど感じませんでした。
毎月積み立てた金額に、運用益が少し乗って増えていく。
そんな感覚です。
そして、当初の計算通り、
「目標金額に1年くらい早く到達できた」
程度くらいだった記憶があります。
だから私は、
「これでセミリタイアすればいいんじゃないか」
と思っていました。
仕事を続けるにしても、給料は好きに使っていい。
いつ辞めてもいい。
そんな状態を作れれば十分だと思っていたんです。
★それでも私は仕事を辞めなかった
ところが、ここで私は仕事を辞めませんでした。
あれだけ「辞めたい」と言い続けていたのに、続けることを選びました。
理由はいくつかあります。
一つは、
40代以降の退職は、ある意味で不可逆的だと思ったから。
一度会社を離れてしまえば、同じ待遇に戻るのは難しい。
もう一つは、
最後になるかもしれない現役時代に、やり残した後悔をしたくなかったから。
特に後者が大きかった。
3,000万円が見えてきて、いよいよ「辞める」ということが現実味を帯びてきました。
すると、
「どうせ辞めるなら、最後くらい自分がやりたかったことをやってみよう」
と思うようになったんです。
そこで、新規事業や以前からやりたかった仕事にも挑戦しました。
ところが……
ここが私の人生の上手くいかないところ(笑)。
始めて1年ちょっとでコロナショックです。
★コロナショックで人生の計画が全部狂った
新しく始めた事業は、ことごとく頓挫・中止・停滞。
それどころか、
「このままいったら会社が危ない」
というところまで追い込まれました。
私は役所や銀行を走り回る日々。
まじで走り回った(笑)
従業員も週の半分以上は自宅待機です。
幸い、国の支援策や銀行からの特別融資などもあり、何とか会社を持ちこたえることはできました。
しかし、新規事業は完全にストップ。
売上がほとんどないのにシステム維持費だけはかかる。
最終的には数年後、泣く泣くすべて廃止することになりました。
約2年間。
数百万円の資金を投入し、毎日のように一人で夜遅くまでシステムを作りました。
それが、コロナショックによって一気に終わりました。
そして、私が働いている業界にも大きな変化が起こりました。
コロナ以降、それまでとは全く違う環境になった。
デフレからインフレへ。
さらにスタグフレーションのような厳しい環境へ。
シェアもない。
資金力もない。
中小企業にとっては、なかなか厳しい時代になりました。
会社の業績も徐々に悪化。
私は毎年のように給料を下げることになりました。
そして従業員も危機感を感じて転職。
会社自体も事実上の廃業となり、私は以前の会社の事業を引き継ぐ形で現在の会社を続けています。
★気が付けば「サイドFIRE」のような生活になっていた
この頃には、金融資産もすでに2,000万円を超えていました。
だから、
「もう、無理して働かなくてもいいんじゃないか」
という気持ちもありました。
本当はそのまま仕事を辞めてもよかった。
でも、なぜか辞められなかったんですよね。
仕事が減り続けることによるストレス。
その一方で、仕事が減ったことで楽になった部分もある。
「これって、ある意味サイドFIREなんじゃないか?」
そんなことを考えるようになりました。
金融資産が2,000万円を超えたことで、精神的にも少し余裕が出てきたのだと思います。
そして、ここから人生がまた大きく動きます。
★まさかの「資産の複利」が始まった
世の中、悪いことばかりではありません。
悪いこともあれば、良いこともある。
私が働いている業界は、坂道を転がるように衰退していきました。
これは現在進行形で今も続いています。
ところが、それとは反比例するように、今まであまり複利を感じなかった資産が急に動き始めました。
2020年以降、資産が一気に増えていったんです。
当時の金融資産はまだ2,600万円程度。
給料もすでにかなり少なくなっていました。
2,000万円まで貯めた頃より、毎月の積立額はむしろ減っています。
ところが、資産はどんどん増えていく。
加速していく。
インフレと円安。
そして株式市場の上昇。
こうした環境も重なり、結果的に約5年以内で5,000万円近く資産が増えることになりました。
もちろん、これは結果論です。
逆の展開になっていた可能性も当然あります。
投資にはリスクがありますからね。
それでも、私にとって非常に大きな出来事でした。
2,000万円まで約10年。
2,000万円から7,000万円までは約5年。
同じ人間が、同じように働きながら資産形成をしているのに、後半になると資産の増え方が全然違う。
ここでようやく、
「これが複利というものなのか」
と少し実感できた気がします。
★「セミリタイアへの道」から、いよいよFIREへ
そして私も50代に入りました。
ここまで来ると、さすがに考え方も変わります。
最初は、
「40代で3,000万円あればセミリタイアできるかも」
と思っていた。
それがいつの間にか、
「完全FIREも現実的に考えられるんじゃないか」
というところまで来ました。
ブログタイトルを付けた当時の私は、こんな未来になるなんて全く想像していません。
だから今になって振り返ると、
「あーくんのセミリタイアへの道」
というタイトルは、結構いい名前だったんじゃないかと思います(笑)。
だって、本当に「道」だったんですよね。
一直線ではありませんでした。
仕事で悩んだ。
投資も最初は信用していなかった。
新規事業にも挑戦した。
コロナショックで全部吹っ飛んだ。
会社も衰退した。
それでも資産形成は続けた。
そして気が付けば、セミリタイアから完全FIREを目指せるところまで来た。
投資以外はすべて失敗したようなもの。
それでも完全FIRE出来る目前まできました。
★凡人でも資産形成はできた
私は、自分にお金を稼ぐ特別な能力があったとは思っていません。
むしろ、かなりの凡人です。
だから私がやったことは、ものすごく地味です。
継続する。
徹底的に節約する。
限界レベルで積み立てる。
仕事は最低限まで縮小する。
これをひたすら続けただけです。
最初は「仕事で稼いでお金持ちになる」という考え方しか知りませんでした。
でも、最終的に資産を大きくしてくれたのは、仕事だけではありませんでした。
むしろ、
節約して、投資して、時間を味方につける。
この積み重ねでした。
もちろん、運もありました。
相場環境にも恵まれました。
妻の協力もありました。
すべてが自分の努力だけで成し遂げたものではありません。
それでも、10年前の自分からすれば、今の資産状況は完全に想定外です。
★人生は本当にどうなるか分からない
10年前の私は、
「完全FIREなんて無理」
と思っていました。
だから「セミリタイアへの道」にしました。
その後の人生は予想通りにはなりませんでした。
コロナショックもありました。
業界の衰退もありました。
新規事業の失敗もありました。
一方で、投資によって資産が想像以上に増えるという、嬉しい誤算もありました。
人生って、本当にどうなるか分からないものです。
だからこそ、私は今になって思います。
諦めないこと。
途中でやめないこと。
知らない世界を試してみること。
これは仕事でも投資でも、同じなのかもしれません。
私はたまたま、仕事で大きく稼ぐ道ではなく、投資と節約によって資産を増やす道に進んだだけです。
そして今、
「あーくんのセミリタイアへの道」
は、そろそろ次のページに進もうとしています。
セミリタイアへの道から、完全FIREへ。
10年前には想像もしていなかった場所です。
ここまで来たなら、最後まで自分の目で見届けてみようと思います。
さて、次のステージはどうなることやら。
これもまた、人生の面白いところですね(笑)。


コメント
私も口ぐせの様に「人生解らん」と言います。
ただ、他の人は「解らないのが恐怖」の様です。
まぁ当たり前です。悪い方に転んでヘラヘラ出来る訳が無い。
口で勇ましい事を言っても我が身に降りかかれば黙るのが人間。
自由だ!と言って消息を絶つ人がソレです。何より屈辱ですしね。
周りからは「落伍者」と扱われる。そして殆ど不可逆。
敗者復活の目は成功の確率より無い。
だから結局全力で取組まない。
片足を浮かせて取り組むから結果が出るのも遅い。
そして下方修正の連続で結局何が何やら…
単純に覚悟が足りないですね。
ソレも無理からぬ事だけど何処かで大ナタ振るわないと変わりませんね。
>黒田様
いつもコメントありがとうございます。
おっしゃる通りだと思います。
本当に10年以上前のセミリタイアブログはカオスでした(笑)
500万円・1000万円クラスの資産で「FIREだ」「自由だ」と謳歌していましたからね。
そしてご想像通り、数年でいなくなる・・・。
少し前に流行った「FIRE失敗」です。
でも意外とこういうコンテンツは人気が出るみたいです。
初心者は「これでもFIRE出来るんだ」って本当に騙される。
本当にFIREしたいのなら黒田様の言う通り、それなりの覚悟が絶対に必要です。
リスクを負う覚悟、達成するまで資産形成を最優先する覚悟、すべての資源をFIREのために集中していく覚悟など。
少なくとも私の場合は、達成するために他の物を捨てる覚悟で始めましたかね。
でもその覚悟のおかげで凡人でも10年くらいでその位置(FIRE)が見えてきた。
楽しく、余裕資金で何とかなんてありえませんね(笑)