まいど、あーくんです。
少し前の話なのですが、私は今までの人生の中でMAXに悩んでいました。(初期ブログの頃)
理由は色々とありました。
しかし一番は、将来への不安や現時点までの自分への評価について悩んでいたのだと思います。
子供の時から20歳代の頃に何となく夢見て突き進んでいた自分の像と実際の現時点での私とのギャップの差。
大きな乖離。
その為に努力をしてきたつもりですが、思っていた理想像とは程遠い・・・。
それが心の葛藤を産む。
しかし現在はその状況もかなり落ち着いてきたように感じます。
私の場合は悩みの最大マックスの期間は約5年間(39歳~44歳)くらいでしょうか。
そしてそういったなんとも言えない虚無感?に襲われる人は意外にも多いことに気が付きました。
(当時40歳くらい)旧友5人と久しぶりに飲みにいった時、もちろんそれぞれ色々な悩みを抱えているのですが、その中の一人が会社を辞めたいくらい悩んでいるみたいでした。
今回はそんな私の実体験から中年期の悩みについて考えてみたいと思います。
※現在はみんな50歳を越えました。みんな大変ながらもそんな自分を受け入れ、各自それぞれ頑張っています。友人も今は落ち着いて頑張っていますからね。
※私は過去に何度もこの「人生の正午」について語っています。
それは私自身も強烈な実体験があったからです。
(マジで辛かったです。)
心理学側面と私が実際に体験したこととリンクさせることでリアリティが増すかもしれないと思い書いています。
★「人生の正午」について考えてみる★
これは私が悩みが最大マックスに到達したときにどうすれば良いのか分からなくなり、すがるように心理学を学び始めたことが始まりです。
心理学を学び始めたのは、人の役に立ちたいというよりも自分を知りたいと思ったからです。
何でこんなに一見どうでもいいようなことを長期にわたってグチグチ悩んでいるのか分からなくなったのです。
学べば学ぶほど、私がこれまで悩んでいると思っていた理由が表面層だけで真実は違うのかもと思うようになっていきました。
休職中から数年間、社会人枠で大学の心理学を専攻していました。(この時期めちゃくちゃ勉強していました)
現在は学びたかった単位はすべて取得していますが、学位を取って卒業したところで「別に」と思うようになって休学から自主退学しました(笑)※残り6単位くらいの時に辞めました。資格を取ってそれを仕事にする目的ではありませんでしたので。
とにかく人間の心の動きを学術的に学びたかったんです。
その時に学んで非常に納得したこと・助かったことがたくさんあります。
そのひとつは「人生の正午」というものです。
中年の「危機の時期」とも捉えられています。
これは心理学と言えばこの人ありと言われるほど有名な「ユング」が提唱した心理学です。
同じく心理学者のエリクソンも同じようなことを提唱しています。(エリクソンは年齢に応じての経験を積んでいかないとそこでつまづき(悩み)先に進めなくなると提唱)※ライフサイクル論
ユング自身も約10年間、この時期にうつ病になるくらいの悩みが襲っています。
ユングが言うには、およそ35歳くらいから40歳、いや50歳くらいまでに訪れる人生最大の転換期のことを言います。
簡単に説明します。
10歳から30歳代までの価値観と40歳以降の価値観が大きく変わっていくことの受け入れ期間とも考えられます。アイデンティティのぐらつき。
若い時分に出来た価値観をそのまま40歳以降も持ち込むことは難しくなってきます。
これは中年の人なら誰にでも訪れることです。
出来ないことが増えてくる。
成功者であろうが落伍者であろうが関係なく多くの人間が訪れるとされています。
私のなかでは40歳前後で急に独立や転職する人、方針転換する人が増えるのもこのひとつだと考えています。
★心の乖離が大きい人ほど悩む★
現実と理想に悩む。
受け入れに苦難を伴う。
「人生の正午」と言われる通り、人生の折り返し地点を過ぎた自覚を感じる年齢です。
これまでの歩んできた人生の見つめ直し、そして残りの人生を考える時期となります。
私も当時よく考えていました。
すると、
「私の努力は無駄だったのか?」
「今まで私は満足してやっていたか?」
「これからの人生をどうすればよいのか?」
「人生のゴールに向かってどうすべきか?」
「この状態で人生を終えてもいいのか?」
「考えもしなかった子供がいない人生とはどうすべきか?」
と今までにような目の前にある問題ではなく、「私の人生全体の問題」「人生観のズレ」が色々と湧き上がってきました。
★中年期は「生」「死」を自分なりに考える機会★
ユングの一説です。
「充実した人生を送ろうとしないのは、
終わりを受け入れようとしないのと同じことである。
どちらも生きようとしないのだ。
生きようとしないことは、死のうとしないことである」
まさにこの一節に集約されていると思います。
40歳という人生の折り返し地点を過ぎて、自分の生と死を同時に考えました。
「生きようとしないことは、死のうとしないことである」
これは重い言葉です。
年齢が若い時は「死」は漠然とした概念でした。
よって「生」についても曖昧。
どこか遠い存在。
しかし人生の折り返し地点を自覚した時から「死」について真剣に考えると同時に残りの「生」についても本気で考え始めます。
すると「限られた時間を無駄に出来ない」と考えるようになります。
焦りが生まれます。
「成長が見込めない仕事、定年退職まで無駄に時間を費やすのか?」
「いやでも、生きるには日々のお金が必要だ」
そして悩み、しばらくの間、答えが出ず、堂々巡りが始まります。
「人生の正午」は誰にでも訪れる悩みです
死なない人間はいません。
誰にでも死は訪れます。
私は中年期に差し掛かり、それを強烈に感じるようになりました。
そして湧き上がってきたのは「後悔をしたくない」です。
「いつ死んでもいいような覚悟を作りたい」ということでしょうか?
これは成功したいという社会的な上昇志向とはまた違います。
どちらかと言いますと「自己実現の探求」に近いです。
だったらどうすればいいのかを考えるようになりました。
ユングは仰っていましたが、強烈に「人生の正午」が訪れた人はガラッと環境を変えるしか道は無いらしいです。
小手先の悩み解消テクニック・ストレス解消法ではダメです。
無駄です。
私の場合は精神がおかしく(鬱寸前)なる手前まで行きましたので、1年間の休業をしてある程度元気になってきたらとりあえずはその時に向けて準備を始めました。
体調の回復も含めて、この休業の一年間は後々私の人生を考えるいい結果をもたらしたと思います。
それは私の場合は興味のあることをしていくための資産形成の継続。
お金になるか分からない好きなことをやる為にはそれ相応の対価が必要です。
私はその対価が「お金」です。
(あくまでシミュレーション上だが)夫婦二人が一生涯、最低限でも生きていける資産の保有。(FIREする年齢が一番重要だが、私の場合は夫婦二人で最低でも7000~8000万円以上)
それが出来たら興味のあることに挑戦していく。
傍から見たら一見無駄に見えることかもしれないが、満足するまで挑戦する。
★一説には8割近くの人間が訪れるらしい★
「人生の正午」は一説には8割近くの人間が訪れると言われています。
私も私の旧友もそうでしたが、悩んでいた時は「私だけ?」と思う人も多いですがそんなことはありません。
多くの人が今後の自分の人生について悩む時期なのです。
私の場合はこの状態で一生を終えるのは無理という考えからですが、悩みの内容は人それぞれです。
一度立ち止まって「よく考えてみてください」、そして「行動」してください。
じっくりと考えた先の行動ならば、満足できるはずです。
悩んで、考えて、行動する。
「悩む」ことは決して無駄ではありません。
「悩む」ことは新しい自分へ生まれ変わる一歩手前です。
決して後悔はしないはずです。
そして間違ってもいないと思います。
と自分にも言い聞かせています(笑)
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不惑の40代どころか惑だらけの40代ですわな
大昔と精神年齢がずれただけなのかもしれないけど
>mikou様
ちょうど不惑の40代について書いていたところです(笑)
私なりの見解を後日また書いてみたいと思います。
にしてもわたしはマジで30歳後半から40歳代のほとんどを悩み続けました。
今の自分を許容するのに約10年くらいかかりました。
本当に苦しかったです。
自叙伝を書いたら暗黒の40代です(苦笑)
苦しかったおかげで人生を変えるために必死になって凡人ながらもFIREに向かって奔走できたかもしれません。
40代は呪われたように私は資産を増やすことだけに仕事と運用に特化した期間でした(苦笑)