苦しい40歳代から少し好転の兆しが!?(人に会うのが怖い時期がありました)


まいど、あーくんです。

私は精神的に脆い部分があると自分で思います。

特に30歳後半から現在に至るまで、色々と精神が揺さぶられました。

よく言われる「中年の危機」「ミッドライフクライシス」「人生の折り返し地点」かもしれません。

原因は複合的にありますので、「これだ」と断言することは出来ませんが、最近は原因の一部が何となく分かってきています。

私の性格は基本的には内向的な人間だと思います。

だからと言って、よく言う「コミュ障」や「人嫌い」と言う訳ではありません。

学生時代は友人も沢山いましたしね。

若い時は付き合いも良かった。(と思っている)

自分で言うのもなんですが、傍から見たらどちらかと言えば「リア充」側に見えたと思います。(特に学生時代まで)

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★年を負うごとに「本性」を誤魔化せなくなってきた★

なんだか年を追うごとに幼少期の性格に戻りつつあるような?(低学年くらいまではどちらかと言うと内向性が強かった)

最近まで自分でもこの内向的な性格が嫌で努力して外交的に明るく振舞っていたとも言える。

そっちの方が学生時代は特にモテるし、仕事でも社交的に見える人の方が仕事が出来るイメージありますやん?(笑)

この世の中は内向的な人間には不利すぎるシステム。

私は20年ちかくは旧友たちと会っていません。(近所の幼馴染はたまに会いますがね。と言っても年に数回のみ、たった一人だけです)

30代半ばくらいからなんかしんどいと思うようになってから全然会っていませんでしたし、会いたくありませんでした。

しかしいまだに各方面からお誘いが来るんですよね。

失礼な話ですが、少し無視してたんです。

それでも懲りずに誘ってくれるんです。

なんか最近、徐々にそれが非常にありがたいなと思うようになって・・・。

★会いたくなかった要因の分析★

会いたくなかった要因は外部的要因と内部的要因があります。

①外部要因は、

ストイックにサイドFIREを目指していたので極力飲み会に参加したくないということ。

一日でも早く仕事を辞めたかったので、資産を増やす必要に駆られていたからです。

その為には、選択と集中でお金を使う遊びは極力避けていました。

世代的に飲み会は居酒屋の次の二次会はスナックとかラウンジとか夜のお店になるのでお金がかかる場合が多いんです。(2・3万円以上は普通に使う)

普通の飲み会は好きだが、これ系のお店はあまり好きでは無いのもある。

だから行った後「非常に勿体ない」と毎回思ってしまう。

②内部要因は、

単純に私の場合は友人と会うのは楽しいのは確かですが、ストレス発散にはなりません、どちらかと言えば疲れる。(内向的な人はこのパターンが多いらしいです)

嫌では無いんです、ただ疲れる。

社交的な人間には意味が分からないかもしれませんがたとえ友人であっても人と会う時は「よしっ」っていう感じの気合が必要なんです。

あと最初に書いた通り面倒くさいのもありますが、話していてふと客観的に冷静になるもう一人の自分がいて急に冷めちゃう時が結構あるんですよね。

歳を負うごとにそれが酷くなる。

意味わかります?

そして取り残される疎外感を勝手に感じ出すというか。

その場の空気が辛くなるというか。

この場から早く去りたいと思うというか。

でこの一連の動きが自分で怖くなってきて、より一層に人と会わなくなると言いますか・・・。

「考えないようにしよう」と考えれば考えるほどしんどくなる。

元からそういう部分があったのですが、これが30歳以降から結構な頻度で続いたんです。

これは多分ですが、当時自分の中で徐々に停滞感や焦りを感じ始めていた時期で「自分は付いていけてない疎外感」を勝手に感じていたのかなと今では思います。

仕事の停滞感、能力の限界感、自分への肯定感など。

当時(勝手に)ライバルであり仲のいい友人でもある友達に今まで同列の友人だと思っていたのにグングン離されている絶好調の輝きが眩しくて、恥ずかしながら凄い嫌悪感を抱きましたからね(苦笑)

友人は何にも悪くないのに(苦笑)

しかし当時は素直に「凄い」と思えませんでした。

「置いてかれた」と思ってしまった。

そしてしんどくなって距離を置いてしまった・・・。

それ以降、他の友人に対しても何だか会うのが億劫になってきてと言う感じです。

なんかニートの心境に似ているかも(笑)

あとこれは心理学からの視点ですが、この時期は「子供を授かるのを諦めた時期」でもあります。

どうしても子供が出来なかったので不妊治療を始めましたが、当時はそこまでお金も無く、それどころか無くなりつつあったこともありゲームオーバー。(当時は保険適用ではありませんでしたので、ベンツ一台余裕で購入できる金額まで膨らんでしまった)

※当時はまだFIREは一ミリも考えてもいませんでした。

嫁さんには絶対に言えませんが、当時は「仕方が無い」と諦め、別に何とも無かったのですが数年後に抑え込んでいた気持ちが急に襲い掛かったんです。

「後悔の念」※もっと早く不妊治療していればもしかしたら?

「もし子供がいたら今頃は?」※子育ては大変だが何事にも代えがたい。

「老後は寂しいのかな?」※夫婦二人・もしからしたら一人ぼっちの老後生活かもしれない。いくらお金があっても・・・。

とか色々と・・・。

今でも楽しそうな家族を見ると心が「キュッ」ってしますもん(笑)

それに伴い「仕事を続ける意味を見いだせなくなってしまった」というのが結構大きい。

だからセミリタイア(サイドFIRE)を目指すことになる。(伏線回収!!)

だって夫婦分の生活費だけで残りの人生いけることになりますからね。

無責任かもしれませんが、最悪自分の食いぶちさえ何とかなれば後はどうにでもなる。

それまで考えていた人生計画、ごく一般的な多くの人間が通るであろうよくある人生計画(子供を育て定年まで働き、老後は孫と・・・)を歩む意味が無くなってしまった。

強制的な軌道修正を迫られたことによる葛藤と不安定感。

けれどそのことに理解出来るのは心理学を勉強し始めた相当後のことになります。

それくらい心の奥底の原因が自分でも分かりませんでした。

当時は単純に仕事に対しての不満や周りの人間に対する不満だと思い込んでいました。

と言うように内部的要因がほとんどです。

まあ色々と愚痴や不満を聞いてみるとほとんどの人間が行き着く先は「結局は自分の問題」である場合が多いんですよね。

※私の初期のブログでも分かるように最初は「会社への不満」「周りの人間への不満」「仕事に対する不満」など外に原因があると思い込んでいました。しかし実際は違う。自分自身に問題があった。外部要因にすることで心のバランスを取ろう(心を守ろう)としていたともとれる。

それらが完全に壊れると人間は鬱になる。

★「中年の危機」は時間が解決するとしか言えないかも★

このように原因は様々あるのですが、そういった原因もあり人と会うのが嫌でした。

しかし最近は少しづつですが、改善?しつつあります。

それはある意味50歳になったことで「諦め」に近い症状かもしれない。

「こうなったのも仕方がない」という心境です。

時間が解決したのかもしれない。

あと私にとってはツラい40歳代を過ごしましたが、10年以上かけてサイドFIREをほぼ完成出来たこともやはり大きいです。

途中で投げ出さず、長期にわたる継続で自分に自信が少し付き、時間の余裕、お金の余裕も多少できました。

自分を少し肯定することが出来た。

自分は自分、人は人。

確かに私は多くの人間が通る道であろう段階を歩めなかった。

それに伴い長期間苦しんだ。

全員が当てはまる訳ではありませんが、これがいわゆる心理学者エリクソンが提唱した発達段階理論というやつだ。(詳しい説明は省きます。知りたい方は検索してください)

段階的に踏む精神的成長が途中で止まってしまい、自分の心が動揺してしまった。

私の場合はその代替え手段としてFIRE(サイドFIRE)を目指すことで穴埋めを行ったというところ。

★苦しい40歳代だったが少しだけ日差しが!!★

人との接触をなるべく避けた時期があった。

それでも今でも気にしてくれてる人は居ることに最近になって気が付いた。

小さな一歩かもしれませんが、新たな一歩になる予感。

自分から他者へ。

私も周りの人間を少しでも勇気づけることが出来たらなと最近は思う。

ひとりが好きでも結局はひとりでは生きていけないのだから。

こんなブログでも少しでも共感・共有・勇気を感じてもらえたら。

もうちょっとリハビリ?が必要なので直ぐには会いに行くのはしんどいが、徐々に回復はしている。

会った時にもし近況を聞かれたらこれまでの自分を正直に話して、一歩一歩ゆっくりと歩んでいこうと思う。

まずはそこから。

もうこの年齢になるとプライドとかマウントとか承認欲求とか自己顕示欲とかほとんど無いわ(笑)

弱い自分をさらけ出したい。


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コメント

  1. 黒田順之介 より:

    思わず何度も読み返しました。

    >単純に私の場合は友人と会うのは楽しいのは確かですが、
    ストレス発散にはなりません、どちらかと言えば疲れる。

    コレ今の私ですわ。友人じゃ無いが投資家サークルに入って居て
    飲み会+情報共有な機会が在るのです。
    情報共有し終わったらサッサと帰りたい。ハッキリ言って興味の無い話に
    付き合うのもダルイし知らない話で興味も無いから本当に接待です。
    49歳にも成ったら投資で自分の適性が把握出来てくるし
    今更リスク踏んで知らない分野に飛び込む必要も時間も無い。(非効率過ぎる)
    そして他の人達は酒も入ってドンドン盛り上がり
    私は下戸なので相手に合わせるのが本当に面倒臭いし黙ってたら放置だし…
    そして会費は割り勘とかww堪らねぇですわw
    でもシカトしまくってたら機会すら激減すると思い
    さぁ!!行くか!良し!頑張るか!と、やたらと自身を鼓舞して居ます。
    でも行く一時間位前までモヤモヤしてますがw

    >どうしても子供が出来なかったので不妊治療を始めましたが、当時はそこまでお金も無く、それどころか無くなりつつあったこともありゲームオーバー。(当時は保険適用ではありませんでしたので、ベンツ一台余裕で購入できる金額まで膨らんでしまった)

    幣家も不妊治療して居り同じ様にベンツ一台余裕の出費でした。
    何とか授かる事が出来たのですが顧客から
    「子供が出来たから大人の仲間入りだな」と言われた時は
    夫婦で居たら出産…普通は考える迄も無い事なのだろう。と衝撃を受けました。
    全く悪気の無い言い方だからコレが自然な認識なのだろうな…と思いました。

    普通と違う道を歩んだ人間だけが知って居る事を伝える事も大事ですよ。
    普通の人間には解らない事を知って居る訳ですしね。

    • あー君 より:

      >黒田様
      ありがとうございます。
      そうなんですよね。人に会うのは別に嫌じゃないし、コミュニケーションも別に問題なくとれるんですが、なんか変な気合を入れないといけないんです(笑)
      何でかよく分かりませんが。
      そのことをたま~に他の人に話しますが、「それはその人が好きじゃないからやろ?」と言われますが、そうとも違うような気がする。面倒くさい性格だなとつくづく思います。

      自ら「この道を行きたい」と選択して歩んでいる場合は問題ないのかもしれませんが、私のように叶わなかった場合は何かしらの進路の軌道修正をしないと歪みやズレが生じて、分からないうちに精神がしんどくなる可能性があります。意外とこのことに気が付いてなく苦しんでいる人もいるのかもしれませんのでちょっと話してみました。
      意外と自分のことは自分では分からない場合が多いです。

  2. じんふ より:

    どうしても演技をしてしまうのかもしれない。際われるのが怖いとかで。だから疲れてしまうんじゃないかな?
    おれはたぶんそうだ。素のままで居られない部分がある。

    • あー君 より:

      >じんふ様
      確かにそういう部分があるという否定は出来ない。
      昔友人に「あーくんは、誰からも好かれていてそれって凄いこと。他で悪口を聞いたことがない」と言われたことを思い出しました。
      嬉しい反面、なんだか複雑だった記憶があります。
      「それって逆に印象がそれほど無いっていう意味かも?」と思った記憶が・・・(苦笑)

      • じんふ より:

        俺の場合は気が付いたら嫌われていることが多いので演技が逆効果になっている可能性が高い。好かれようとしなきゃいいんだろうが、しみついてしまっているのかな?素で居て好かれるやつが一番うらやましいな