まいど、あーくんです。
現在斜陽産業(アパレル関連)で私とパートさんとゆるーく仕事を続けているエセサイドFIRE民です(笑)
まあ自称サイドFIRE民と卑下している訳は、会社の借金返済計画の為だけに仕事を続けているからです(苦笑)
現在の給料は5月から思い切って5.4万円に一気に減給して一層にゆるく仕事をしています。(残りの利益は会社の借金返済に充てるためでもあります)
タイトルでは大げさに「年収800万円からの転落」と書きましたが、雑誌のコラムではなく私の事です(苦笑)
前の会社では雇われ社長でしたが、社長就任時後の数年間が私の人生でピークの年収でした。
会社も順調に増収増益でしたしね。
人生で一番仕事した時期でもあります。
もくじ
★未来に希望を抱いた若かれし頃★
現在は夢破れた敗残兵ですが、額面でピーク時には夫婦合わせて約1000万円以上あったような記憶があります。
だからといって当時はそこまで貯める気も無く「その時のお金は今どこに行った?」ってな感じです。
しかし地方だと充分にパワーカップル?に入るのでしょうか?
よく分かりませんが・・・。
と言ってもすでに相当前のことになります。
当時は「今の年齢でこれくらい収入があるから、このまま頑張ればもっといける!!」と本気で思っていました。
それだけ業界もまだやれば成果がついてくる時代でした。
「仕事も結果を出せば絶対に後からお金がついてくる」と本気で思っていました。
出世して、マンションを購入し、付き合いでゴルフも行き始めて、飲み会もマメに参加し、ほぼ同時期に外車を購入。(中古外車です。そこはケチのままです)
まあ絵にかいたような浮かれポンチです(苦笑)
収入が増えていき、それに乗じて支出も比例して上がっていきました。
完全に調子に乗っていた時期です。
自信に満ち溢れていた時です。
30歳前半までの時代は誰でも調子に乗る年齢なんです(笑)
仕事もこなれてきて大きな仕事もこなせてきて、尖って、少しでも自分を大きく見せたい年齢なんです。
少しでも上を目指したいんです。
自分を大きく見せたいんです。
仕事も一番頑張った時期でもあります。
昔で言うと若いころのダウンタウンやとんねるず、そして今でいうと霜降り明星の粗品みたいな感じ(笑)
仕事が出来ない古株の人間を蹴落としても上にいきたい感覚。
喧嘩を売りたい感覚。(分かるかな~)
当時は資産運用には興味が無く、ひたすらに仕事で成果を出すことがお金持ちになる最速・最善の方法だと思っていました。
株で損をしまくっていた父を見て、投資は「悪」と思っていました。
ちまちまコツコツと投資をするくらいなら、仕事をして稼いだ方が早いと思っていました。
しかし当時は住宅ローンもありましたので純金融資産的にはマイナス圏です・・・。
20~30歳代は人生で一番仕事をしていた時期ですね(笑)
イケイケでした。
★歯車が徐々に狂い始めた30歳後半・・・★
その後ブログで何度も書いてある通り、業界の斜陽化によりどんどん転落していきます。
私の感覚的には2014年前後頃からです。
その間紆余曲折があり途中端折りますが、そしてほぼ同時期に徐々にやる気も減少・・・。
そして今ではついに年収約64.8万円(苦笑)
月収ではなく年収です。
うそでしょ、落ちぶれたな~、マジで!!
過去ブログで何度も書きましたが、社長に就任してからわずか数年後に以前から薄々感じていた「このままではヤバい」という疑念が確信に変化していき、人生の転換を意図せず図られ、悩み、紆余曲折を経てサイドFIREを目指すことになります。
これまでは何となくヤバいかもとフワッと思っていたのが、徐々に確信へと変化していく大変な時期でした。
社長になるとこれまでの目の前だけの営業の仕事だけでなく、色々なものが見えてきます。
お金の流れや税金、売り上げの推移、商品情報だけでなく、業界の情報や別業種の情報、そして各会社社長の情報。
それにより当時は給料が結構あったにもかかわらず危機感が募ります。
「これ今がピークかも」と・・・。
最初は当然、FIREなど知らず微塵も考えていませんでしたので会社の根本的な立て直しから始めました。
これまでと同じやり方なら近い将来必ず行き詰るとの危機感からです。
色々と挑戦しましたが、ハッキリ言ってイマイチな感触でした。
様々な効率化・自動化・販路拡大など手を尽くしましたが急激に縮小していく市場では大海原で逆行クロールをしていくような抵抗で正直言ってこれという感触は掴めませんでした。
今考えると何もせず逆らわず徐々に衰退していく方に身をゆだね流された方が結果的に一番効率的だったと感じます。
自分の実力を知るとともに、斜陽業界で勝ち続ける難しさを身をもって思い知らされました。
★自分だけでも生き残る?★
年々売り上げを作ることが難しくなっていく・・・。
私の実力「器」を知るとともに、徐々に「どうやればこの危機的な状態から脱することが出来るか」を模索するようになっていきます。
会社ではなくまずは「自分」がどう生き残るか?
いくら一人で頑張っても周りは何も変わらない。
実際に社員全員が一人の人間におんぶにだっこ状態。
これだと一緒に足の引っ張り合いに引きずり込まれると思い、考え方を180度変えました。
まずは自分を変える!!
冷たいかもしれないが、まずは自分だけでも生き残る努力。
自分との戦い。
要は「FIRE」「サイドFIRE」への道です。
たとえFIRE分の資産が貯まらなくても、職を失った場合に備えサイドFIREが出来るくらいの資産を有しておく。(軽いアルバイトでも生活できる資産を有しておく)
今で言う「バリスタFIRE」というやつです。
それに向けて準備をしておく。
当時の目標金額は「2000~3000万円の間」
当時既に40歳の大台を超え始めていたので、零細企業からのキャリアアップ転職は難しいと感じ、まだ会社に力があるうちにやれるだけやってFIREを目指すことを始めます。
今思うと正直言って、私は社長の器では無かったと思います。
全体を広く見渡せない。
問題点はいくつも見つかったのに、周りを巻き込んで社員全員一丸となって改善していくことが出来なかった。(カリスマ性が全くない)
独り空回りしていました(苦笑)
当時、独りで毎日残業して新事業などをコツコツとしていました。
★手探り状態のFIREへの道★
FIREを目指す前は最初は投資も何も分からず、儲かりそうなことを手あたり次第やった記憶があります。
何故かやり始めた最初の投資はFXでした。
最初は数十万円儲かりましたが、リーマンショックにより大損。
その後システムトレードなど色々とやりましたが、鳴かず飛ばず。
その後はFIREを目指すまでしばらくは投資から離れ、再び節約と貯金のみでがんばっていました。
当時はまだ現在と違い収入が良かったから毎月20万円くらいは貯金してました。
でもストレス解消のために外食と旅行もめっちゃ行ってました(笑)
貯金がようやく1000万円を超えた頃から徐々に株式投資を始めました。(純金融資産はマイナス)
それとほぼ同時期に本気でサイドFIREを目指すこととなります。
最初は日本株をちまちまとしていました。
上手くアベノミクスに乗ることが出来たので貯蓄と節約と少しの投資で徐々に資産が増えてきました。
当時の自分の中では「金融資産2000万円」はもう神の領域!!(笑)
絶対に無理と思っていた領域です。
2000万円に到達してから浮かれてしまいしばらく数年間ほとんど資産は増えませんでした。
あとは純金融資産で2000万円を維持する。
当時はこれがゴールでした。
それくらいの神の領域。
当時、私にとって安心感が半端ない金額でした。
2000万円あればほとんどの問題が解決できる。
不慮の事故・突如の大型出費・解雇された時かなり余裕が出来る。
なので嬉しすぎて、つい使っちゃう(笑)
そして株式投資はそこそこに当時は不動産投資の勉強をめちゃくちゃしていましたね。
休憩中・休日、本やノートに書きまくってずっと勉強していました。
そして2000万円を超えたときに満を持して不動産投資を開始。
お金持ちの象徴の投資と言えば不動産投資。
素人がやるとカモられるイメージが強かったので理論武装しようと思い、めちゃくちゃ本と情報商材を買いました。(10万円以上は使ったような)
余談ですが、実際に物件資料の請求の時に何社かは私をカモろうとしてきました。
何度もセールスの電話や営業に来られて、断り続けて終いには「あんたみたいな人は結局何もしないで終わる人だ」と捨て台詞を吐かれました。
だったら満足する物件紹介しろよ!!
マジでブちぎれそうでした(笑)
今でもその会社はよく覚えています。
まじで不動産投資は自分の足で地道に物件を探した方が良い。
私は結局、町の不動産屋さんで現物確認して見つけましたからね。
そしてリフォーム工事時も自分で徹底的にコスト圧縮する努力をしたほうが良いです。
不動産投資は投資ではなく、ビジネスです。
儲けるにはまあ手間がかかる(苦笑)
これ真実!!
★ギリ何とか間に合ったのか?FIREへの道★
話は逸れましたが、業界が斜陽化していくとともに当然ですが売上・利益と共に減っていく。
売上0円という日も普通になってきましたからね(苦笑)
少し前なら考えられない。
しかし先ほど話した通り、私は途中から「FIREへの道モード」に切り替わっていたので収入が減り続けても資産形成を止めることはありませんでした。
私にはもうこの道しか残されていませんでしたし・・・。
当時私の初任給が手取り16万円、残業しまくって何とか20万円、徐々に認められ少しずつ昇給していき28万円、35万円・40万円その後も腐らずに必死に成果をあげ続け雇われですが社長に就任して30歳半ばで月収50万以上あったのが、その後の業界の斜陽化によりみるみるうちに減額に次ぐ減額・・・。
そして最終的には現在の5.4万円まできちゃいましたwww。
しかしその間も腐らず地道に貯金・節約・運用・副業でコツコツと積み上げてきました。
一応フォローしておきますが、現在はこの給料でも何とか様々な資産収入をかき集めて生活が出来ております。
今では少ない給料と少ない家賃収入と少ないけど運用資産からの収入でやり繰りしています。(全部少ないです、でもやっていける)
給料が少ないと生活に支障が出るかなと思っていたのですが、資産がある程度あると意外とやっていける。
勝手にお金がお金を回しだす。
なんとかやっていけるかもと思うようになりました。
今のところは全く資産は減少していない。
逆に少し増えてるくらい。
生活水準を極度に落とさなくても、税金・社会保険料・固定費をきっちり抑えれば大丈夫。
日本って税金をほとんど払わないマス層にとても優しい国なんですよ。
憲法でも文化的な最低限度の生活を保障されてる。
たとえ納める税金が少なくても、平等に公共サービス・保険を享受できる国。
本当に素晴らしい国ですよ。
こんな国は社会主義国でもほとんどない。(ちょっと皮肉も入っています(苦笑))
共産国である隣国だってここまで充実していない。
これまでの常識だと思っていた枠組みから外れても世の中意外となんとかなるんじゃないかな?

コメント
今回の記事内容は全てに同意ですが
特に「税金・社会保険料・固定費をきっちり抑えれば大丈夫。」
コレ凄く重要ですよね。
まず経営者をされてる状況で税務的に凄い有利です。
私は被雇用者だったから税制・社会保険料の最適化を図るには
リーマンを退職するしか選択肢が無かった。
コレばっかりは他に選択しようが無いし強制FIREですわ(笑)
そもそも被雇用者は「経費と言う概念」が無い。
全部、課税後の可処分所得から出さねば成らないから物凄く不利です。
御自身の様に経営者なら税・社会保険料の最適化も図れるし
確かにFIREが遅れるのは致し方ない事でも在ると思います。
逆に踏ん切りが付かない可能性も在るかと思いますが
辞めました。やっぱり再開します。なんて在り得ないし
不可逆な事では在る。
私の場合みたいに「現状じゃ制度的に選択不可能」と言う場合は
是も否も無く進むしか無いが選択肢が在ると余計に悩ましいですね。
>黒田様
いつも暖かいコメントありがとうございます。
偶然かもしれませんが、経営の経験が物事の見方を少し変えたような気がします。
それこそ、氏が言われる通り固定費・税金・社会保険料の考え方です。
中身は端折りますが、給与所得者はお金の流れを見ると引かれすぎ!!(苦笑)
サラリーマン時代は自動に徴収されるのであまり深く考えはしなかったのですが、経営を少し携わってみて、前会社の会長や顧問税理士などと話してみてお金の流れ方の見え方の違いが薄っすらですが見えてきました(笑)
道理で会長が「経費・経費」言うのが分かりました(笑)
確かに私が完全FIREに二の足を踏んでいるのはこの「おいしさ」が少し理解しつつあるからなのかもしれません。
サラリーマンの給料50万円と経営者の50万円では中身(労力)が全く違います。
言うならそこまで稼ぐまでの労力も全く違う。
意外とそれを知らない人が多いですね。
あと仕事は基本嫌いだが緩く出来ると適度に暇つぶしにもなり、少し楽しいんです。毎日誰かと話しますしね(笑)
だからゆっくりと借金返済して段階を踏んでFIREしようかなと思っちゃたりして気持ちが揺らぐんです・・・。
まあ最後は運用会社にして残します。