「自由」を享受するには制限が設定されている方が良いらしい!?


まいど、あーくんです。

私は今、仕事1割・勉強8割・新しい不労所得作り1割の比準で生活しています。

心が完全回復するまでは、しばらくはこのような生活を続けていきたいと思っています。

そして現在資格取得のために頑張って勉強しているものは直接にはセミリタイアには関係ないものなのだが、読んでみて「セミリタイアとして例えても非常に役に立つかな?」と思われる内容がありましたので、紹介したいと思います。

※結構専門的な用語がありましたのでそのままでは載せません、私なりにセミリタイアの体(てい)にのっとって書いてみたいと思います。

私だけかもしれませんが非常に「なるほどな」と感じました。

「自由になりたい」

セミリタイアを目指している人にとってまず最初に思うことは、「現在がつらい」「自由になりたい」と言う事ではないでしょうか?

もちろん私もそうです。

毎日毎日通勤してヘトヘトになるまで働いて、だんだん何のために働いているのか分からなくなってくる・・・。

単純にお金のため(生きていくため)なのだが、そのお金も自分の頑張りに比べたらこれっぽっち・・・。

ゴール(終わり)が見えない・・・。

そんな無限ループにはまった毎日でした。

そこでふと思います。

「俺って(私って)、楽しくも何ともない人生を死ぬまでし続けるんだろうか?」と。

そして精神的に耐えられなくなり、会社を辞めセミリタイア生活に突入します。

「やった今日から自由だ」と。

「自由であると言う事」

ここからは、勉強で学んだ事をセミリタイアにちなんで書いてみました。

「自由である」ということは素晴らしいことです。

しかし反面恐ろしいことでもあります。

色々と制限のある会社生活と違いどこまでも広がる空間と時間を前に、いざ「どのように生きてもよい」と告げられたら、人間誰でもその奥行きの深さの前にたじろいでしまいます。

「私は嬉しいだけでたじろかない」って?

それは本当の自由の裏面を知らないからです。

本当の自由とは例えでいうなら、地平線の見えない広大な平原・底の見えない海・上下すらわからない宇宙空間にほおり投げられて「好きにしなさい」と言われるようなものです。

終わりの見えない底なしの怖さがあります。

これが本当の自由の裏の顔です。

自分の限界を知り、設定することで自分を守る

素晴らしい自由でありながらも同時に無限の恐ろしさに飲み込まれてしまわないためには、自分の限界を知り自分で限界(器)を設定することです。

限界を作ること(壁を作る)で「手ごたえ」を感じられるような「感触」を聴き取ることが出来るように自分なりの舞台を作ることです。

あくまでも「好きなこと・興味のあること」でです。(辛いことでしたら今までと同じです)

人間は自由を享受するためには、逆説的にどこかに制限が設定されていることが重要です。(これは心理学的に証明されているらしいです)

「何もしてもOK」は「キリがない」という不安を生みだす可能性があります。

限界を設定されないと人は自由になれない生き物なのです。

肩肘張らずに自分なりに

かなり要約して、セミリタイアになぞらえて書き換えましたが、私は非常になるほどと感じました。

「人間やろうと思えば何でも出来る」

「人(あなた)には無限大の可能性がある」

確かにそうでしょう、やることが明確にあり(猪突猛進)他のモノが見えない人にはいいかもしれません。※厳密に言えばその人はこれだけをやり抜き他はやらないという限界設定を知らずのうちにしています。

ただし私を含めて多くの人間は、これは安全か危険か?損か得か?楽しいか苦しいか?を感じながら右に行ったり左に行ったりして生きています。

将来に不安が無いと言えば嘘になります。

それは将来がとてもぼんやりとした霧のようなものだからです。(少なくても私はそうです)

それを払しょくしようと上記の言葉を掲げますが、しかしそれは取り方を間違えればとても「苦しいもの」なります。

私はこれといった得意分野も誰にも負けない趣味など無い、いたって普通の凡人なのです。

過半数の人間は私のような、このようなタイプです。

ゴールがあるから安心してスタートをきれるのと同じで、普通の人間にとって自由も限界を設定することで有効に享受できるのかもしれませんね。


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コメント

  1. できき より:

    これは結構時代も影響しているのかもと思う事があります。
    もしネット環境なく未婚者もいなくて、カーナビもないような少し前の時代に無職で金と時間があってもこれほど自由に活動できただろうかと思うのです。
    たとえコミュ障でも人に聞かずになんでも調べられる。行きたいところもカーナビで迷う事もない。
    もっと前なら、コミュ障だったら引きこもりにならざるを得なかった気がします。

    • あー君 より:

      でききさん:ありがとうございます。返事遅くなりました。
      現在は昔よりも選択肢が幾らでもある時代です。
      良いこと(メリット)が沢山ある反面、やりたいことが最初から決まっている場合は別ですが選択肢が多すぎることで悩んでしまうのも事実ですね。
      この人間の心理は、本当に奥が深いです。

  2. できき より:

    そうですね。なんでもやっていいよと言われると逆になにをやったらいいかわからない。
    でも、無理して探しても見つからないんですよ。
    ただ単にストレスがないというだけで余裕が違ってきますので、センサーも感度が上がってくると思いますし。

    • あー君 より:

      でききさん:ホントおっしゃる通りですね。
      ストレスが極力回避できるだけでも全然違いますよね。

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