幸せなのはどっち?「アリとキリギリス」は国によって結末が微妙に違うらしい!?パート2⃣



まいど、あーくんです。

先日「アリとキリギリス」の物語を例えて、何が幸せな生き方なのかを考えましたが、そのあと色々と調べてみますと面白いことを発見しました。

どうも国によって題名もストーリーも微妙に違うらしいのです。

今回は私の感想も踏まえてそこの話もしてみたいと思います。

私たちは普通に「アリとキリギリス」で馴染んでいると思いますが、どうも元々の題名は「アリとセミ」らしいです。

日本に広まった経緯がイギリスからだったのでセミのいないイギリスはキリギリスに変換してそのまま日本に広がったみたいです。

ストーリー自身はセミもキリギリスも大して変わりがありません。

どちらも夏(セミ)秋(キリギリス)に自由を謳歌し、それをしり目にアリは困難になる冬を見越してせっせと働き、冬を問題なく越していく・・・。

どちらも「真面目にせっせと働けば、良いことがある」と言いたいんでしょう。

しかし結末が日本と西洋では微妙に違うみたいです。

私はこれは見解の違いというよりも完全に文化の違いと見ています。

セミが来て、食べ物をもらいたいと言いました。『あなたは、なぜ夏の間食べ物を集めておかなかったんです?』『暇がなかったんです。歌ばかり歌っていましたから』と、セミは言いました。すると、アリは笑って言いました。『夏の間歌ったなら、冬の間踊りなさい』

(河野与一訳『イソップのお話』岩波少年文庫)

これは元々の話。

結局セミは冬を越せず餓死してしまうのです。

ちなみに日本の物語の結末は困ったキリギリスに自分のエサを分け与え、アリの優しさに触れるというようなお涙頂戴話です。

西洋文化は日本のような横のつながりは強くありません。

自分は自分、こうなったのは因果応報だと!!

冷たいように見えますがこれは文化的影響があると思います。

西洋では自己を周囲とは切り離された独立した主体とみなす相互独立的自己感が優勢であるのに対し、

東洋では自己を他の人や周囲と結びついた関係志向的存在とみなす相互協調型自己感が優勢となっているためだと思われます。

なので西洋では因果律(原因と結果の間には一定の関係が存在するという原理)が多様されます。

要は「あなたはこういう理由で行動したのだから、こうなるのは当然だろう」という結論です。

なのであなたは解っていて夏の間(秋の間)働かなかったのだから、餓死して死んで当然という訳です。

しかし日本の文化(東洋)は違います。

穏やかな感情や受動性・場に応じたふるまい(空気を読む)が重視される傾向にあります。

これが良い悪いは置いておきます。

文化差ですからね。

ただやっぱりこれを読んでも、どちらが正しいのかは私には解りません。

一般的にはアリの方が正しい行いなんでしょうが、「これで本当に幸せなのかな?」って。

前回でも書きましたが、それまでに死んでしまえば苦労が無意味ですし、がっちり備えていてもそれ以上の困難が待っていたら何も意味が無いですしね。

だからといってキリギリスが幸せだとは言いませんが・・・。

よく言う、「細く長く生きる」のと、「太く短く生きる」などの生き方の違いなのでしょうか?

でも寿命なんて自殺以外、自分でコントロール出来ませんし・・・「うーん、悩む(苦笑)」


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コメント

  1. deefe より:

    両方の間くらいにちょうどいいのがあるんやろうけどねえ
    加減がわからないので苦労する。

    • あー君 より:

      deefeさん:ありがとうございます。
      欲を言うとアリのように生活に困らず、キリギリスのように毎日を楽しく過ごすのが理想です。
      しかし私には無理ですね(笑)
      そこまで一気に稼げるセンスは全く持って無かったです。

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