「アリとキリギリス」、どちらの人生が生きててよかったと感じるのだろう?1⃣


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まいど、あーくんです。

「アリとキリギリス」という話を知ってますか?

せっせと真面目に働き冬を越せたアリと、何も考えず今を楽しむことに専念して冬を越すことが困難になったキリギリス。

話の教訓と言いますか、私が幼きころ感じとった感想では、「真面目にコツコツと頑張れば何があっても平穏に暮らすことが出来て幸せだ」ということを感じました。

「本当にそうなのだろうか?」

人生の折り返し地点を過ぎて、この歳になってくるとどっちが正しいのかわからなくなる時があります。

まだまだ先のある人生と感じていた時は、まさに私は「アリ」!!

今を頑張ればきっといい未来が待っていると思いがむしゃらに働いたもんです。

確かに得るものはありましたよ。

しかし、何だかむなしく感じる時があるのです。

「何で若い時にもっとやりたいことをしなかったんだろう?」って。

現状を変えるのが怖くて、周りと違うことをするのが怖くて仕事に逃げてしまったんじゃないのかって。

「何も持っていない自分」と考えると怖くなる

人間、一生懸命何かをする時には必ず「選択と集中」を迫られる時があると思います。

私は当時、妙に出世欲がありまして、言い方は悪いですが相手を蹴落としてでも上にあがってやろうと考えることがありました(実際は躊躇してしますよ)

それもこれもいい未来を得るためという大義名分で今を犠牲にしてきたのです。

自分が本当にやりたいことに対して犠牲を払うのは別にいいことだと思います。

「会社に貢献することが自分のスキルアップにつながる!!」

「趣味を充実させるためにもっと仕事を頑張りたい!!」

どんな理由であれ、自分のモチベーションがアップすれば別に良いのです。

しかし私は仕事内容もしくスキルアップに対してということではなく、今考えてみますとステータスやお金を得るためだけに今を犠牲にしてしまった。

それが凄い悔やまれるのです。

「他人と比べて自分が有利だ・不利だ」

これを基準にして生きてきたように思えるのです。

今考えますと非常に無駄だったなと!!

自分が良ければそれでいいのに何で他人と比べるんだろうか?

私のやりたかったことは本当にこれだったのか?

私は他人との競争ばかり気にして、自分が何も持ってないことに焦りを感じていました。

「私は外に出れば何も出来ない無能者なんだろう」って・・・。

結果的にセミリタイアを選択するのとセミリタイアを目指すのとでは違う気がする

ちなみに私は後者です。

セミリタイアを目指している時もそうです。

楽しい未来を考え、今を犠牲にしてやりたいことをしない。

「たのしい」と「らく」は同じ字なんですが、私は全く意味が違うと思っています。

しかし、我慢する。

どんなに苦しくても我慢する。

仕事もつらい、つらいけどセミリタイアの為にはお金がいる。

セミリタイアをするにはもっともっとお金がいる、今を犠牲にしても・・・。

これってキリがない人がほとんどではないでしょうか?

絶対に安心できる金額まで金融資産を増やすことはほとんどの人間には出来ません。

だってどんなに頑張って働いても普通の人は、一億円以上の金融資産なんてできないでしょう。

よっぽどの社会的な成功者か、優れた投資家でないと無理です。

全人口の数パーセントの確率です。

「俺は一生をかけてそこを目指すんだ」というのなら別に良いのですが、そこを目指してたどり着けるのは何度も言いますが数パーセントなんです。

努力してその数パーセントに確実になれるのでしたら、みんな億万長者です。

ほとんど人が頂上にはいけない。

90%以上の人がそこにはたどり着けない。

結果的に億万長者になって引退するのなら別に良いのですが、そこを目指してしまうとほとんどの人が自分の人生が終わってしまいます。

結果的に億万長者になったひともおそらくは未来(セミリタイア)を考えて行動したというよりも今を一生懸命に頑張った結果だと思います。

頑張った結果、たまたまお金が増えたから、ゆっくりしようというのがほとんどではないでしょうか?

けっしてセミリタイアしたいから1億貯めたという人は少ないのではないでしょうか?

だったら今を楽しく一生懸命生きてもいいのではないでしょうか?

キリギリスも物語では単に遊んでばかりいたから冬を越せなかった訳であって、もしかして自分の得意のバイオリン演奏で少しでもお金(エサ)をもらっていたら冬を越せたかもしれません。

私はキリギリスは、やり方さえを間違えなかったらアリよりも楽しく過ごせたのかもしれない気がしてならないのです。

裕福には暮らせないかもしれませんが、冬の間は少しのエサ(給料)で楽しく過ごせたかもしれません。

自分の人生はこれで良かったと思えるかもしれません。

アリは冬(老後)を安心して過ごせますが、それまでに死んでしまったら何のために頑張ったのか意味が解りません。

この年齢になると人生をよく考える

私は本当にこの年齢になって改めて考えさせられんですよね。

私たち「アラフォークライシス世代」は、社会に出るときがバブル崩壊で失われてた20年を生き続け、そして脂がのってきたときにリーマンショックで再びリストラの危機!!

まさにリアル「臥薪嘗胆」世代!!

耐えてもこらえても、時代に翻弄させられた世代でもあります。

これらを露骨に経験した私は反動でより自分のことを考えなおしたのかもしれません。

悲観して未来を考えすぎて恐れすぎて、何もしないのはナンセンス。

今を一生懸命に生きてこそ、人生ではないかと・・・。

私は今雇われでしたが社長を降り、今は自分のやりたいことを優先して楽しんでいます。

社長を務めても見せかけでしたから!!

大学で新しいことを学び、何か新しい仕事を造れないか毎日考え行動しています。

この前は休日では無く普段の日に秋キャンプに行きましたよ。

キャンプ場で私だけしかいなくて、貸し切り状態で一緒に連れて行ったワンコ(犬)なんて放し飼い状態でした(笑)

その時ふと思ったんです。

「俺って、社会に出て20数年、今が一番幸せかも」

「もし今死んでも、毎日いろいろと自分で考え行動して生きている今は別にそれでもいいかも」

って。

こんなことは今まで一度もありませんでした。

今までは「今死んだら今まで我慢した意味が無い」と考えていました。

しかしキリギリスではないけど今が幸せって本当に思えたんですよね。

確かに贅沢はできませんが本当に今が幸せって・・・。

お金(エサ)は確かに生きていくうえで欠かせません。

ただ生き続けるために餌を食うのか?自分から動いて結果的にエサにありつけるのか?

後者は確かに大変です。

世の中そんなに甘くない。

あなたの人生は誰の物でもありません。

あなただけの人生です。

あなたはどう思いますか?


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