まいど、あーくんです。
【人生の正午】とは心理学者のユングが提唱した、35歳から45歳くらいの時に残りの人生があと半分と自覚した時に色々と悩んでしまう症状です。
その症状とは多種多様です。
考えること無くすぐに乗り越えられる人もいますし、私のように数年に亘って悩む人もいます。
先日、同じく悩んでいる40歳代の方たちへちょっとした応援ブログを書きました。
思っていた以上に反響がありました。
感想としては、「やはり悩んでいるひとは多いんだな」と感じました。
ちょっとずつですが体力も考え方にも老いを感じ、否応なしに人生の転換期を迎え始め私も含め皆さんも少なからず動揺しどうすればいいのかと悩まれています。
そう考えますと「セミリタイア」を考える人のほとんどは、悩みを抱えている人が多いです。
もちろん私も悩んだ末に「セミリタイア」という存在を始めて知り、それを目標として頑張っています。
もくじ
「セミリタイア」と「人生の正午」
心理学の一説では100%(みんながみんな)とはいきませんが、多くの人は35歳くらいから何かしらの人生の大きな変更を迫られるらしいです。
私もこの時期くらいからちょっとづつ考えるようになりました。
人生のなかで最も大きな変換期がこの時期だと言われています。
そしてそれが普通であって、悩むことは何もおかしいことでは無いということです。
何も不自由なく社会的に成功を収めている人も普通に起こります。
外(環境)からの変化ではなく自分の中での変化ですから、そんなことは関係ありません。
最近になって気持ちがわかったような気がします
よく最近ではスマップ解散から始まり多くの中堅ジャニーズさんが新たな道を模索始めています。
よく巷では、事務所の軋轢等のうわさが出回りますが、それだけでは無いでしょう。
だってどんなに軋轢でも地位は保証されていますし、一般の会社でもそんなことは普通にあります。
逆に今の時代でもよく社員を守ってくれているとさえ感じます。
それでも退所してあらたな可能性を見出すということは、新たなる自己欲求が出てきたということでしょう。
自分の人生の変更を迫られたということです。
特にジャニーズ事務所はアイドルを生業にしていますので本人たちもよく解っているのでしょう。
「殻を破らないと新しい自分、現在の考えている自分になれないのではないのかと。」
意識下の自分と無意識化の自分の中のギャップに苦しんでいたのでしょう。
こうなってしまうと転換していかないともう無理です。
無理やり気持ちを抑え込もうとすると鬱や精神葛藤が酷くなる一方になります。
私はそう理解しています。
セミリタイアとは考え抜いた新たなる人生の道のひとつ
私はセミリタイアとは同じ考え方の末の行動の一つなのではないかと思っています。
もちろん選択肢は色々とあるのですが、その中の一つの解決策がセミリタイアなのかなと。
人生の後半に差し掛かり「生きる意味とは?」「本当の自分とは?」「自分の人生とは?」を求めてしまう。
そしてこうした悩みが出てくる人はむしろ恵まれている部類なのかもと考えるようになっています。
毎日をどう生きるかで精いっぱいの人や、その他の悩みでいっぱいの人はそちらの悩みの解決で精いっぱいになるからです。
ちょっと前ですが私と同じ年齢(恥ずかしながら)の草薙さんの伊右衛門(お茶)のCМにこんなフレーズを言っていたのが大変印象に残っています。
草薙剛「応援も批判も色々な声を耳にしました。でも誰かの声に惑わされるのをやめたんです。」
宮沢りえ「これ飲むと心の声がよく聞こえます。」
草薙剛「そうですね。」
宮沢りえ「帰れますか?」
草薙剛「(心の)地図がありますから」
これってまさに的を得ていて、周りではなく自分が自分の足で歩いてみたくなったということのあらわれではないでしょうか?
「自分とはどうあるべきなのか?」を考えた結果なのだと思います。
稲垣吾郎さん、香取慎吾さんのサントリー「オールフリー」のビールの宣伝で「生きてる~!」ってフレーズも同じ意味ですね。
本当の自分の声は何なのかを求めてからこそ、悩むからこそ、他人の気持ちを汲めて他人にも優しく接することが出来る。
「セミリタイア」とは生き方の肯定であって、決して逃げ道ではあらず!!
過去を否定している訳ではありません。
一生懸命頑張った過去があったからこそ現在があり、過去があるからこそ現在の壁が存在します。
それは周りが悪いとかそういった次元では無いと私は思っています。
悩んでいる私たちも、その延長線上にセミリタイアという生き方があるということでしょう。
自分の生き方を模索しているが故にセミリタイアを考えついた人が多いと思います。
少なくとも私のブログを読んでいる人は多くの人がそういう考え方なのだと思います。
最近色々なセミリタイアブログを読んでいて思います。
皆さん何もししていないように見えて、自分が何をすべきかを常に考えているのが垣間見えます。
真摯に自分と向き合いどうすべきか?
周りに惑わされず、いかに人生を楽しくやるか!!
だからこそ長期間にわたって計画的にお金を貯めたり資産運用している人が多いです。
そしてそれはお金の面だけではなく、やらされてやるのか、自分が考えて進むのかの覚悟の差だけのような気がします。
もちろん同じ仕事内容でも、やらされているのを感じながらやるのと、自分で進んでやっているのとは活きている意味合いが雲泥の差です。
グローバル化の勝者は、多くの屍の上に成り立つ社会
年配者には理解できないのかもしれませんが、おそらく今と昔では、仕事の密度の差は雲泥の差だと感じます。
常に「勝つか負けるか」、「生きるか死ぬか」、「進むか止まるか」だけの社会はいつかは疲れ果ててしまいます。
しかも強制されている環境下では!!
日本は選択肢が少なすぎます。
しかも現在は昔と違いグローバル化でそれを一生やり続けろと言われる社会です。
全世界の人が平等にチャンスが訪れようとしている社会です。
よく有名なセミリタイアブログの人たちのところにアンチの方から全面否定コメントがよくくるらしいです。
「他人を認めることが出来ない」、「自分の生きかたしか肯定できない」、かなり疲れてしまっているんだなと心配してしまいます。
だからどうしても未知なる生き方に腹が立ってしまう・・・。
日本の社会は多様性が無さ過ぎて人生に疲れ果てている人が多すぎます。
緩い生き方から生まれてくるものだってあるはずです。
民主国家で先進国って宣言するんでしたら、誰かに(社会)に縛られるだけでなく、日本でもこういった緩い生き方(メリハリ)が普通に出来る、選択できる社会であってほしいと願います。
コメント
とても共感できる記事でした。
特に
>セミリタイアとは考え抜いた新たなる人生の道のひとつ
このフレーズは響きました。
でも実際にはまだまだ認められていない生き方のひとつだと思うんですよね。多様な生き方や働き方ということが叫ばれていますが実際にそうなるのにはあと数十年はかかるのかなと感じます。
クロスパールさん:ありがとうございます。
そうなんですよね。まだまだ「日本男児たるものは一生外にでて働け」みたいな価値観のみのような感じです。
もっと柔らかい多様性のある社会でもいいと思うんです。
多様性の中から新しいものが生まれる訳ですしね。
別に迷惑かけている訳でもないですし、計画をたててやっているのですから、「自分の人生好きに生きさせろよ」と思っちゃいます。
単に走り続けなくてはならないと思い込んでいただけなのかもしれない。
現に走りを止めても処罰されない。
むしろ心の平安さえ取り戻せた。
たまに蔑まれることをあるかもしれないが生きるのに困ることはない。
deefeさん:ありがとうございます。
ですね、勝手に思い込んでいたのかも?
刷り込まれていたのかも?です。
自分を守れるのは自分だけなのに、背負いすぎてどうすることもできない人が多いです。
本当に追い込まれている人を見ると気の毒になります。