まいど、あーくんです。
「何のために生きているのでしょうか?」
「辛くてしんどいだけの人生なら生きてる意味なんてないんじゃないの?」
「長生きするだけの生活なんて幸せなのかな?」
私は悩みやすい性格なのかもしれないですが、ここ1~2年は本当に悩みました。
今も悩み中ですが、着実に進んでいます。
こんなに長期間悩んだのは私の人生で初めてかもしれません。
理由はあるのはあるのですが、なんて言いますか解決が出来なかった。
答えだと思っていたものは実は答えではなかったと言うべきでしょうか?
中年の人で私と同じように悩んでいる方はこういう考え方をしてみるのもいいんじゃない?
もくじ
あなたは、何のために生きているの?
ところで皆さんは「何のために生きているのですか?」
「生きるために生きているのですか?」
哲学みたいなことを言っていますが、40歳を越えて私の人生が残り半分と思うと考えてしまうんですよ。
成功者と言われている人達は多分こう言うのでしょうね。
「そんなことを考える暇はない。今を生きろ!!」
「目の前にある課題を一生懸命にこなせ。過去を振り返るな、わからない未来を不安視するな」
ってね。
確かにその通りです。
私もその通りだと共感してそう生きていきたいと思っていました。
けど私はこの年齢になって立ち止まってしまった。
過去を振り返ってしまった。
「俺の生き方はこれで良かったんだろうか?」
「こうすれば良かったんではないか?」
「人生残り半分、限りある人生これからどう過ごせばベストなのか?」
「将来は確かに不安だが、今を殺して生きていくべきなのか?」
と考えてしまった。
どうしても勝てない年齢(老い)というものにどう敗北を認めるか・迎え入れるのかを考えるようになった。
これから敗北を認めていくのがきっと増えていく。
きっかけは多分、仕事だと思う。
正直に言いますと最初は、周りのせい、環境のせいだと思っていました。
こんなに思い通りに行かないのは、環境のせいだと!!
かっこ悪い話です💦
人生の修正は誰にでもやってくる!!
しかし、20・30歳代でやっていたやり方の修正を考え始めたから。
このままでは、体力的にも、精神的にも通用しないと考え始めたからでしょう。
こんなことは誰にでも起きます。
悩んでいるあなただけが特別おかしいんじゃない!!
みんなが仕事内容の修正と同時に人生の修正を考えるようになってしまう。
迫られてしまったと言うべきでしょうか。
自己の価値観の変化をしようとしたのではないだろうか?
確かに以前は困難があったときは逃げずに正面から当たり、失敗しても何かしら傾向と対策が今後の役に立つと思いながらやっていた感があったのですが、数年前からは、どうしても嫌なことは避けてもいいのではないのか?別に避けたからといって何も変わらないのでは?
そう考えるようになりました。
成長への選択肢を取らなくなってしまった。
そう考えるようになったとは言っても、やっぱり100%そうなる訳では無いので、揺れ動いて葛藤してしまう・・・。
そういう人は意外と多いと思います。
ブログタイトル「何のために生きるのか?」
これもゆりかごのように答えが日々変わる。
ただ年齢を追うごとに比率が変わっているのは確かだ。
若い時は「生きるためにお金を稼ぐ」「将来の安心のために」が第一条件だった。
しかし年齢を追うごとに「生きる証明」と言うべきものが欲しくなってきた。
「生きてきた証拠」でしょうか。
それは他人にどうというよりも自分が納得できる形でだ。
どうあがいても人間は死にます
どうあがいたって人間死ぬときは死ぬ。
これは避けられない事実だ。
40歳を超えてくると色々な病気もでてくるだろう。
「あと正月を何回迎えることが出来るのか?」
「美味しいごはんをあと何回食べることが出来るのか?」
「あと何回新しい世界を見ることが出来るのか?」
そんなことを考えてみると、人生は長いようで短い。
あっという間だ。
「人生を無駄に消費したくない」
そう考えるようになってきた。
「失敗してもええやん」
やらずに成功したとしても、やりたかったことで失敗したほうが何十倍も人生は楽しい!!
私は今社長を降りたことは全く持って後悔していない。
毎日が忙しい。
うまくいくかどうかは分からないから人生は楽しい!!
そう考えてみるのいいんじゃない?
登頂を目指すのも楽しいけれど、下山も楽しいよ。