まいど、あーくんです。
孔子の論語で「不惑」という言葉があります。
これは40歳は、知識や経験が積み重なり、物事の本質を見極める力がつく年齢。
迷いや動揺が減り、判断に自信が持てるようになるとの言葉です。
孔子って後世に残る素晴らしい言葉をたくさん残していますが、いまだに日本人にも影響がある、スゲー人だなと思います。
もくじ
★40歳代は私は闇の中だった★
その中でも私は「不惑」。
何でかって言うと、私は30後半から40歳代後半までの約10年間がこれまで生きてきた人生で最も長期間悩んだ時期でもあります。
心理学でいう「中年の危機」(ミッドライフクライシス)っていうやつです。
これまで歩んできた人生の軌道修正やこれからの歩んでいく人生への不安からです。
私は過去ブログで何度も書いてきましたが、30歳後半から本格的に精神不安定に陥りました。
鬱寸前にまでいきました。
当初は理由がまったく分かりませんでした。
ただ単に不安定、不満、ストレスがたまる日々・・・。
毎日、自問自答する中で分かったこと、
それはこれまで歩んできた道のりと現時点(30歳後半)との分析、そしてこのまま進んで良いのだろうか(未来)という迷いへの修正を迫られていたこと。
私が信じて歩んできた道が現時点でどうもピントがずれ始めている。
しかも修正・微調整が非常に難しい。
そんな不安感です。
私で大まかな例を言うと、
ずっと欲しかった子供を授かることが出来なかった。(私が無意識に描いていた家族像と現実がかけ離れていた)
もっと成功体験したかった仕事に限界が見え始める。(斜陽産業に陥る中、どう頑張ってもこれ以上の成功が難しい現実)
細かく言うとたくさんあるのですが、大まかに言うとこんなところです。
表面的な感想で言うとこれらの問題は、「やるだけのことやってこれだから別にしゃあないやん」でした。
もしくは「俺はやれるだけのことをやっている。周りが悪い」という他責することで自分を守っていました。
なので本質の問題点が全くわかりませんでした。
しかし時がたつにつれ、「心の中をじっくり整理しないと先に進めない」ということが徐々に分かってきたと言いますか・・・。
★無意識に当たり前のレールを歩んでいた・・・そして崩壊★
逆に言うと、30歳後半までの私の人生設計は親の影響や周りの影響もあり無意識のうちにこれらの逆の選択肢で動いていました。
子供を一生懸命育て、仕事も順調に拡大していく人生。
そして老後は退職金があり、定期的に子や孫たちが家に遊びに来てささやかな楽しみがある人生。
要は両親を含めて大方の人間が歩んでいくであろう一般的な人生設計。
無意識のうちに作り上げられていた、これらの人生設計の基で建てられた私のアイデンティティは徐々に崩れていきます。
これまで通りの価値観で生きたままでは、どんなに改善しようしとも根本的な解決はできません。
現実(の世界)と心の乖離(理想の世界)が酷くなると人間はどんどん病んでいきます。
頭では理解はしていても無意識層の心の奥で許していない・・・。
そんなものだと無理くり心の奥に蓋をしていた、その心の乖離が表面層に違う形で表れていく。
私の場合は、精神不安定(抑うつ)、会社の不満や上司への不満・部下への不満・両親への不満、お金の不安などなどだ。
紆余曲折を経て私が悩みに悩んで出した答えは、「FIRE」
私はもともと「FIRE」と言うものを全く考えたことが無い人間でした。
というかそのような概念すらも持ち合わせていない人間でした。(全く知りませんでした)
子供もダメ、仕事もダメ、これといった趣味も無い、日々日々不安定さを増していく・・・。
守るべきものも大してない、何のために一生懸命仕事をし続けるのか?
別に自分や妻が生きていけるだけの最低限のお金を稼げばじゃいいやんって。
「老後も孤独かも」「要介護になった時本当に頼れる人は居ないかも」「友人すらもいなくなるかも」「お金も無いかもしれない」など考えなくても良いようなことまでマイナス思考で考えてしまう。
どうすればいいのか?
ならば一日でも早く「FIRE」もしくはサイドFIREが出来る位置まで行く。
これが私の出した答えです。
下世話な話かもしれないが、お金で解決していくしかない(苦笑)
まずは実際にその位置まで行く!!
まずは到達してから、その後のことは考えるだ。
以降、約10年間徹底した節約と資産運用と会社を潰さない努力の毎日。(当時一応雇われ社長だったので)
既に住宅を購入し、ローンを抱えていたので純金融資産はマイナスからのスタート。
40歳代はほぼこれ(FIRE)だけの為に頑張りました。
他人からしたら何もしていない寂しい人生に見えたかもしれません(苦笑)
★人生とは段階を踏まないとつまづき戸惑う★
当時悩んだ理由は、自分自身もよく分かりませんでしたが、とにかく一心不乱で人生の軌道修正に入りました。
まあ私の場合は「中年の危機」の期間が長く、約10年間近くも悩みましたね。
ずっと「この選択は正しかったのか?」を自問自答してた気がします。
最近になってようやく抜け出した感が出てきました。
ここ数年でようやく精神的に落ち着いてきました。
心理学は言っても19世紀・20世紀くらいからの比較的新しい学問です。
しかし孔子はその約2500年前も昔から説いていた。
ちなみにまとめるとこんな感じ。
平均寿命が短かった当時でも人間の考え方と言うものはあまり変わっていないですね。
現在のライフスタイルと大して変わっていません。
心理学にあるエリクソンの「ライフサイクル論」に非常に似通っている。
40歳代は「不惑」と言いますが、私はこれを言葉通りに取らず、人生で最も悩む時期で新しい価値観や判断力が生まれ、安定期に向かう年齢層と取っています。
で結果的に40~50歳代前半くらいまでに「不惑」となる。
その継続で運命を悟る。
悪く言えば「諦めの境地」(笑)
そこへ移行するための準備期間だととらえています。
私の場合はかなりの難産でしたね(苦笑)
そしてその後はこれまでは自分が如何に成長できるかが主な考え方だったのが、段々とまわりの人や先輩・後輩への関心に目を向けるようになっていく。
他人の成長・幸せが素直に嬉しくなってくる。
素直に他人の成功を褒めることが出来るようになっていく。
これが俗に言う「あの人は丸くなったよね」というやつかもしれない(笑)
★「人生の正午」はどうしても立ち止まってしまうもの★
40歳以降、明らかに気力・体力が落ち始め、上昇から下落へと向かう。
40歳代は丁度その分岐点。
太陽で言うと40歳代がちょうど正午。
それまでの人生はまだ午前中、そして50歳以降は夕方へと向かう過程。
午前と午後は同じ太陽でも動きは全く逆。
だから人間は戸惑い悩む。
正午に「あれ?」と思いだす。
これまでの上り調子がいつもと違う環境に首をかしげる。
決定的な失敗に対し、取り返すことが可能なのかがとても悩む年齢。
「若い時の苦労は買ってでもしろ!!」と言われてたのにね(笑)
そして気持ちが落ち着いてくると自分から他者へと心が動く。
もしかしたら自分から子供や他人にゆだねていくのかもしれない。
どうあがいても人生(寿命)にはあがなえない。
それを静かに受け入れ、最後の時まで全うする。
私はよく「あの人は丸くなったな」という人をたくさん見てきました。
若い時は怖く、尖りまくっていた人も年齢を負うごとに角が取れ丸みを帯びていく。
これは心理的変化が大きく物語っているととらえています。
あと生死を分けるくらいの大病した人も多いですね。
★悩みを知り準備を整える★
あと私は準備を怠らないことを肝に銘じています。
ケセラセラ(なるようになるさ)の精神も大切だが、それは自分にとっての必要最低限の準備が完成した後で考えるもの。
やるだけのことやったから、後はケセラセラ。
何もしていない人間のケセラセラは単なる思考を停止した無謀な考え。
今後自分が想定できることには最低限の準備を整えておく。
余裕のある人生とはこういうことだと。
お金があるなしではなく、準備を怠っていないかを常に自問自答すること。
お金が無くても出来ることはたくさんある。
子供を愛情をもって一生懸命育てる。
仕事を頑張る。
人的資源はたくさんもつ。(たくさんの友人・知人をつくること)
考えられることはいっぱいあります。
私は子供もいない、仕事もいつまで続けられるか分からない。
そんな環境だから解決策として、または最適解として最低限生きていけることとしてお金(資産)を増やすことを選択しそして専念しました。
しかし子供がいれば答えはまた違うかもしれないし、仕事も楽しく定年まで安定しているのならお金はそこまで必要ないかもしれなかった。
要は自分なりに将来の見通しをある程度見えるようにしておくことが悩みを無くす、ひとつの改善策と言ってもいいかもしれない。
株式投資と同じです。
先行き不透明の時は相場は非常に不安定です。
どんなにネガティブ情報でも事前に分かっていたら、もしくは最悪期の期間がある程度分かっていたら、その時は一瞬大暴落しますが意外と早く持ち直すもの。
長期間低迷する時は大概、これからどう動くか全く分からない時です。
それと同じで人間は将来の見通しが全く見えない時が一番、不安に駆られると思います。
なので少しでも自分なりに将来が見えるように。
成功・失敗ではなく、見えるようにです。
ある程度想定出来ていたらすぐに対策が出来ます。


コメント
孔子の言うように皆順調に行けば誰も苦労してないんだろうね
>kio様
コメントありがとうございます。
今も昔も苦しんだ先にこの道が開けていくんでしょうね。
逆に苦労しないと道は開けないともとれるのかと。(嫌ですけどね)
ただ寿命が延びたためなのか、10年近くずれている感じが私はしました。
50代に差し掛かってようやく新しい道が見えてきた感じで落ち着いてきた感覚です。
冗談抜きで人生の正午を過ぎると驚く程に時間の経過が早く感じます。
昨日スーパー行ったら渋柿が並んでいた。
以前「干し柿を作る為」に渋柿を買いにス―パ行ったのが1年前???
一瞬とは言わんが半年くらい前に感じる。
その経過が万人に対して平等に起きて居る訳です。
チンタラしてたら本当に不可逆で下方修正連続発表ですね。
恐ろし過ぎますわ。
>黒田様
時間の経過は万人に対して平等なのに年々早く感じるのは何なんでしょうね?
学生時代の一年間の長さと現在の長さの感覚が全く違います。
一日の密度なんでしょうかね。
だからこそ40歳以降の人生は一日一日を意識的に行動しないと取り返しのつかないことを肝に銘じておかないと。
自分に言い聞かせます(笑)