今思うと私は無能な社長でしたな(苦笑)でも無能なおかげで「FIRE」を目指せた


まいど、あーくんです。

過去に私はとても小さな会社の雇われ社長をしていました。

現在は私と時間パートさんの1.5人で緩く仕事をしています。(電話番と伝票・帳簿書きを手伝ってもらっています)

10年近く前のコロナ以前の話ですが、私は現実と理想の気持ちの乖離が酷くなり身体と精神を病んでしまい、約1年間療養をしました。

※心臓がバクバクしてめまいがするので怖くなって病院に行ったら鬱関連と思ったらバセドウ病でした。その療養も兼ねてです。

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★「中年の危機」が私の人生の分岐点★

「気持ちの乖離」というのは、当時私は雇われ社長として会社経営と一般営業をこなしていましたが、ハードすぎて段々と「何のために仕事を続けているのか分からない」と感じるようになってきたことです。

今思うと「中年の危機」「アラフォークライシス」のように思います。(当時37歳頃くらいかな)

中年の危機というのは、40歳前後(中年期)に起こりやすいとされる自分の人生について問い直さずにはいられなくなる、アイデンティティの不安な状態のことを指します。

多くの人がこのアイデンティティの不安・ぐらつきに直面し、アメリカの心理学者ダニエル・レビンソンによれば80%の人が中年期に大きな危機を迎えるとされている現象です。

私の場合はこの危機的状況を抜け出すのに10年近く要しました。

私は給料と仕事量のバランスがあまりにも乖離していると思うようになってきたのが始まりです。(当時のブログはそんな愚痴ばっかり書いています。そして無気力になっていきます)

今考えると根本的な原因は違うと分かっているのですが、当時はこれが原因で躁鬱がひどくなっていると考えていました。

それからこれまで歩んできた人生がこれで良かったのかと次第に考えるようになっていきました。(アイデンティティの不安な状態)

★いっぱいいっぱいだった雇われ社長時代★

当時は私も含めて約6人の従業員を抱えていました。

そして売上の約半分以上は常に私が稼ぐことがほぼ常態化してしまった。(実質7割前後)

私が忙しくなっていったので社員を増やしていったのですが、全く状況が改善しない。

なので自信をつけてもらうべく私の担当会社で良い顧客を何件か渡したのですが、反応がいまいち。

今になって反省点で分かるのですが、当時は私は「従業員をあまり信用していない」と思っている節があったんだと思います。

そして私自身も自惚れ的な部分もあったのだと思います。

当時はけっこう尖ってたのかもしれません(苦笑)

数字にシビアになりすぎていた節があったかと思います。

それが従業員に少し見えてしまい逆にやる気がそがれたのかもしれません。

私は若い時から結構がむしゃらに仕事をしていたのでそれを相手にまで求めすぎていたのだと思います。(私の方がレアなタイプだと思います)

仕事で早く一人前になりたいと考えていました。

私は初期の就職氷河期でお金で苦労したので、一日でも早く安い給料から抜け出したかった。

当時の私は、資産運用や副業など考えられる時代ではなく、とにかく仕事でのし上がるしか選択肢が私には無かった。(あったのかもしれないが私の認識ではネット証券なのも無かった)

私は営業マンとしては周りより少し仕事が出来たのかもしれませんが、社長としては器ではなかったんだと思います。

人を上手く使いこなすことが出来なかったんだと思います。

ガミガミいうのも苦手だったし、上手く諭すコミュニケーション能力も低かった。

人を育てるというのも皆無だった。(新人時自分は全部上司を見て考えて、質問して仕事を憶えていったので)

その余裕が無かった(苦笑)

だったら自分でやった方が早いと考えてしまい、一人忙しく仕事をこなし、会社のほとんどの売上を一人で作ると言ういびつな環境になってしまった。

質問されたら一生懸命説明するのですが、何もなければ「自分でどうすべきか考えろ」と思うタイプ。

実際に私もほとんど独学でやりましたしね。

自分の仕事で手一杯なのでほったらかし。

周りがほとんど見えていない。

社長としてはもう無能の極致ですね(苦笑)

★サイドFIRE(セミリタイア)という考え方の出会い★

私は見た目だけの社長で何の権力も持っていない雇われ社長業だったので、中間管理職と同じです。

とうとう上からと下からの圧力でがんじがらめで精神やっちゃいましたね(苦笑)

段々と会長と社員に搾取されているのではないかと妄想が広がり疑心暗鬼(被害妄想)に陥ってしまいました。

今まですぐに回復していたのになんでこんなに悩むのかさえ、疑問に思っていた時です。

原因がよく分からなかったので旅行や外食でストレス解消をしようとしていた時期です。(今思うとめっちゃ行ってました)

その頃からこの原因を探すために徐々にブログや本を読み漁り、サイドFIRE(当時はセミリタイア)という概念を見つけ今に至る。

最終的には通信大学で心理学の勉強を始めて「中年の危機」や「心の動き」を知り今に至ります。

当時私は何か事情がある人以外は定年までに早期退職する概念なんて毛頭にありませんでしからね。

雷が落ちるくらい衝撃的な出会いでしたよ(笑)

サイドFIREを本気で目指し始めた頃から徐々に仕事はそこそこに資産形成をがっつり始めました。

「(様々な環境の変化により)本業だけではもう60歳までもたない」と考えました。

それでも何とか会社が上手くいっていた時代はまだ良かったが、コロナ禍以降、業界の斜陽化が急激に進むとともに会社の未来が本当に見えなくなった。

最悪の想定通りに(私の会社のみならず)業界が進んでいってしまった。

以前在籍した会社も廃業を進めるということもあり各自、己の道を進んだ。

私の場合は、廃業当時はすでになんとかサイドFIREは出来るくらいの準備を進めていましたので、これまでの仕事を緩く継続することがベストだと考え今に至ります。

当然のことながらとても小さな会社だし私は役員だったので、一般従業員と違い退職金などは1銭もないのは知っていました。(会長は負担が増えるので反対していましたが、従業員には私の薦めで中退共に加入させていました)

なので当時は仕事を続けるしか選択肢がありませんでした。(完全FIREは出来なかった。当時たぶん資産3000万もありませんでした)

★私は社長という器では無かった★

しかし今思うと本当に(社長)向いてなかったな(笑)

残念ながらこれが私の器・・・。

ただ努力したし、向いていないと分かったことは収穫です(苦笑)

(就職氷河期の)当時は給料を上げるにはこの方法しかなかったから、がむしゃらに仕事を頑張ったが、内向的な私の性格の真逆を演じて走り続けた。(基本内向的だが昔からずっと変えたいと思い生き続けた)

演じ続ければ性格が変わると信じて・・・。

まあ多少は変わりましたが、完全に変わったかと言われると難しい。

人見知りはだいぶ治ったが、心の端っこで「よしっ」と気合を入れないとスイッチが入らない(笑)

外交的な友人とかは「なんも考えたことがない」と言っていますのでいつも羨ましいと思っちゃいます。

私は基本的なコアな部分は幼少期より全く変わっていないと思います。

★おかげでFIREを目指す道を見つけることが出来た★

結果論だが、一人で仕事をしている今は全部こなさないといけないので相変わらず大変だが、人間関係で悩むことが無くなったので良かったのかな。

逆に嫌いだった内向的な性格も良かった部分がある。

自分の頭の中でグルグルよく考えるので、危機管理能力が発達したことくらいでしょうかね。

そのおかげで将来の危機を感じ取り、周りに反して資産をコツコツと増やせた。

そしてその延長線上にまさかの「FIRE」出来るかもという副産物が生まれた。

仕事では足を引っ張り全く役に立たなかったこの厄介な「性格」だが、個人レベルで自分とじっくりと向き合うことが出来たのはこの資産形成期にはとても役に立った。

傍から見ると地味かもしれない。

しかし臆病で自己否定気味な私でも「俺にはお前らより少しは金がある」と思えることでちょっと気持ちに余裕・自信ができたかも(笑)

冗談っすよ💦

でも様々な挫折も無駄では無かったと今は感じます。

だって挫折し悩んだことで「FIRE」を見つけ、そしてそれを目指し、着実に進んできました。

全ての経験が今の自分を作る!!

なので成功しようが失敗しようが様々な経験をしたほうが絶対に良いです。

この世に無駄なことなんて何もない。

絶対に廻りまわって今の自分を作る。


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コメント

  1. 黒田順之介 より:

    前職の社長の待遇も似ている気が…
    その社長は入り婿さんで雇われ社長でした。
    (実権は奥さんと奥さんの御父さんで在る会長が握って居る)
    会社の階上に家族で住んでいるのですが
    休みも階下が職場だし家に居たら常に会社の雑務を消化する事に成る。
    会長は暇だから雑務大好きなので率先して取り組むが
    オマエも当然だろうと言う感じで社長にも要求する。
    社長はソレが大嫌いだと言ってました。

    だから意味も無くドライブ行ったり外出しないと気が休まらない。
    仕事も営業で常に奥さんと会長の圧を受け
    会社の利益の大半を稼ぎ出していたし
    私と二人きりで夜に話して居た時に「味方なんて誰も居ない」
    と漏らして居ました。
    社員も権限無いのを知ってるし遅刻はするわ売上上がらんわで
    本当に社長は大変でした。
    私はソレを見ていて全く将来に希望が見出せませんでした。
    漠然とした将来への不安を払しょく出来なかった。
    ソレは社長が悪いと言う事では無いし
    社長は誰よりも働いて居るのは知ってたけど
    何とか路線変更しなけりゃと思って情報収集したら
    投資に巡り合えました。
    本当に逆境が転機ですね。

    • あー君 より:

      >黒田様
      確かになんとなく似ています(笑)
      ひとつ就職活動している方でアドバイスするとしたら「アットホームな職場です」には要注意です(笑)
      オーナーややる気のない悟った従業員に搾取されるだけです。
      でもこれを読んでみて、私の職場の方がまだマシだったかもと思います。(社長さん大変そう)
      いよいよ国産アパレル業界の未来もドン底ですし、相当なやり手でないと難しい状況になってきました。(縮小規模が半端なくなってきました)
      現状の凄惨をみるとほとんど生き残れないでしょうね。
      私も10年以上前に危機を感じたので路線変更したのが結果的に幸いしました。
      マジであの時に行動を起こしていて良かったと思っています。
      なんなら日本に絞られる必要もなくなりましたし、自由にどこにでも行けますしね。