まいど、あーくんです。
最近ネットサーフィンしていて、よくニュースの解説記事みたいなものを読むのですが、この言葉がよく目につきます。
テレビのバラエティーニュースもそうです。
「○○の意見に賛否両論あり」っていう言葉に違和感を感じてしまう・・・
いや、そもそもどのような問題でも賛否両論はあるでしょ?(笑)
こんなこと言い出したら、何でも賛否両論ありでしょ。
「私は平和を愛します。これに対して賛否両論あり」
でも成り立っちゃう。
「この薬は効くかもしれないし、効かないかもしれませんよ」っと、さも真面目に説明している風に見えちゃいます。
それだったら「まとめ記事です」でいいじゃないですか。
「今すごく議論になっています」でいいじゃないですか。
賛否両論が無い意見ってそもそも意見ではないような気がするんですよね。
もしくは「私の意見は○○だから、あなたの意見は賛か否か」と言う意味でとっていいのでしょうか?
何ですか?賛否両論ありって。
「賛否両論あり」って言葉の裏にどちらかの意見は間違っていますよって聞こえちゃう(私だけ?)
忖度しろよみたいな?
このニュースは偏っているという意見って?
あと「ニュース番組は中立を求める」とか「最近のニュースは偏りすぎだ」という意見をよく聞きますが、そもそも中立の立場って何なのでしょうか?
中立は各自の基準がまちまちであって、国民全員の中立の立場なんてものはあり得ないと思います。
できっこない。
同じ言葉をとっても立場によって解釈なんていくらでも変えることは出来ます。
歴史ひとつにとっても事実はひとつでも当事者によってどうにでも解釈が変わってしまいます。
それが当たりまえなのです。
だから自分の意見から見るとこの報道は偏っているという意味なのでしょうか?
世間一般の意見というのは、どこからどこまでが世間一般の意見なのでしょうか?
基準がよく分かりません。
結局は周りの意見を参考にして自分の考えを押し通す方がいいのでしょうね。
大多数が正義の風潮って
人の意見を聞いて、そのうえで「私の考えはこうです」でいいじゃないですか。
意見なんて100人いたら100人違うのですから。
何だか最近の大多数の意見が正義みたいな風潮が気になります。
承認欲求が異常!!
「賛否両論あり」や「大多数の意見(世間一般の意見)と違う」は、賛否両論あるのが悪みたいな感じに聞こえます。
何で賛否両論になるのだと。
まあ大多数の人間は自分の意見が大多数の意見と同じだと感じていますし、同調を求めるように出来ています。
それで安心します。
人間は高度な社会性を持っている生物なので、遺伝子と環境でそう組み込まれています。
SNSとかのイイね!ボタンも同調欲求を刺激する工夫ですしね。
ヤフーのニュースコメント欄とかを見ていたらそれが如実にでますから面白いですね。
一つのコメントが説得力があれば、大多数の意見もそれと同じような意見ばかりで埋め尽くされます。
人は同調されたいのです。(たまにわざと炎上を狙って逆の事を言う人もいますが・・・)
私も何度かヤフー欄にコメントしたことがありますが、最終的にはどうすれば「いいね!」を押してもらえる意見なのかを考えました。
どうすれば同調される意見なのか?
意見欄は自分の本心では無くどうすれば同調されるのかが基本となっていくのが実体験でわかりました。
だから説得力のある文章が投稿されると大方の意見がそちらの方に偏り始める。
ネットは匿名性が高いから本心が言えるとよく言われますが、一概にはそうでは無いような気がします。
人気のあるブログであればあるほど、ビジネス会話です。
みんなと違う意見なんか言った日には、即炎上でつるし上げです。
日本人またはアジアの人は特に同調圧力が凄いです。
違う意見なんて言ったら即ターゲットです。
それは今も昔も何も変わりません。
あまりにも法律や倫理観や道徳観にかけている発言はいけませんが、「ふーん、こういった意見もあるんだね、勉強になる」くらいでいいのではないでしょうか?
大多数の意見は単純に正義という安易な考え方は注意しないといけませんね。
この世に真実なんて一つでは無いです。
色々な見方がある。
あと論破することの意味が私にはよく分かりません。
説明する、説得するのと論破するのとでは意味合いが全く違う。
言葉で打ち負かしても次がもう無いような気がします。
ストレスにもなりますが面白いですよ、自分と全く違う意見の人と話すのは。