安楽死について考えてしまった


まいど、あーくんです。

年金2000万円問題が治まる気配がありません。

年金2000万円問題とは、65歳時点で無職・家ありの場合、現時点の年金収入では死ぬまでに2000万円が不足しているという金融庁が提言した問題です。

私もとっくに40歳を超え、人生の折り返し地点を過ぎて人生の終着点を意識し始めています。

まだ早いと言われそうですが、人生について考えてしまうんですね。

「これで良かったのか?」

「満足しているのか?」

とか内面的な問題はもちろんのこと、外的な部分である、

「65~70歳時点で2000万円を確保できるのか?」

などはもちろん考えています。

ただ私の場合はすでに2000万円以上は金融資産はありますので大丈夫なのですが、もしその時点で無くても、仕事をすればいいと思っています。

あまり深く考えていません。

私が70歳くらいの時は今とは比較できないくらい老人が溢れていますので、仕事も年齢に合わせたものが沢山出ていることだと思います。

70歳が75歳を相手の仕事をすることもあるでしょう。

健康だったらどうにでも出来ます。

将来はもっと選択肢が出ていると考えます。

お金の面は何とかなる。

内面的なものも努力次第でどうにでもなります。

内面的なものは外的なものでは満足しません。

あくまでも自分との闘いです。

だったら何が不安なのか?

私は人生の末期の末期の処遇を何とかしてほしいと思っています。

というのは、今の死亡率と言いますかどこで死ぬかと言いますとほとんどの人は病院で亡くなっているんです。

延命に継ぐ延命・・・・。

それでやっと死ねる。

そこには本人の意思なんてものはなく、周りの義務や道徳、そして職務の全うのために行われる。

最近体調が悪くて病院によくいくんですが、病院が老人ホーム化してしまっています。

まだ治って普段の生活に戻れるなら良いのですが・・・・。

老人でも簡単に死ぬことが許されないのが今の日本です。

命のある限り、最善を尽くされます。

私には子供はいません。

頑張りましたが授かることが出来ませんでした。

ですので死ぬときはおそらく孤独なのですが、それよりも認知症になったり自分で何も出来ない寝たきりになった時を考えるのが本当に怖い!!

認知症が悪いと言っているのではありません。

私がそうなった時を考えると怖いんです。

身内が誰もいなくて、生きているのか死んでいるのかもわからない。

身内に恨まれるくらいなら気が楽かもしれませんが・・・。

だったら、まだ意識のあるうちに尊厳のある死を選んで、笑顔で死にたいと思う時があります。

もう十分に生きたと思いたいです。

今のご老人を見ていると元気な人は別として本当に幸せなのかと考えさせられます。

安楽死というよりも尊厳死と言えばいいのでしょうか?

そういったものが日本でも出来たらな。

私も入会しておきたい。

あなたはどうですか?


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コメント

  1. crosspearl より:

    以前ブログ記事にもしたのですが私は安楽死の法制化を望んでいます。おそらく無理なんでしょうけど、自分自身で生活ができなくなったり、認知症になったりするのであればある程度自分の満足できる時期に安らかに眠りたいですね。

    老衰ならまだいいかもしれませんが痛みを伴いながら死ぬのは嫌だなあ。

    • あー君 より:

      クロスパールさん:こんにちは。
      オランダとかは法制化されているみたいですね、日本もそうなってほしいです。
      先日、親族が骨折したのでお見舞いに行ったのですが、入院患者の9割くらいは高齢者。
      しかもその半分近くは認知症でした。
      親族の人も「暇だから話したのですけど全然会話にならない」と言っていました。
      ここは老人ホームではなく、普通の病院です。
      いまでこの状態ですからね。
      我々の世代が高齢者になったときが末恐ろしいです。

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