まいど、あーくんです。
いつもブログを書いていて話が微妙に逸れていくのが私の悪い癖です(笑)。
思っていることを書いているだけなのでいいと言えば良いのですが、ついつい話が長くなる・・・。
悪い癖です。
今回は、超久しぶりに心理学視点から「人生の正午」「人生の折り返し地点」「中年の危機」を過ぎた人生を考えていますか?です。
もくじ
★「生きようとしないことは、死のうとしないことである」★
私も今年で50歳。
一般的な「人生の正午」が訪れる40歳前後からすでに約10年が過ぎました。
高名な心理学者でもあるユングの言葉の一つに、
「充実した人生を送ろうとしないのは、
終わりを受け入れようとしないのと同じことである。
どちらも生きようとしないのだ。
生きようとしないことは、死のうとしないことである」
の一説を書きました。
これって非常に深い言葉に聞こえるんです。
心理学者なのに非常に哲学的と言いますか・・・。
これだけ書くとよく分からないと思うので、もうちょっとだけ詳しく書きます。(それでもよく分からないかもしれませんが)
「人生の半ばを過ぎると、生とともに死ねる人間だけがはつらつとした人生を送れる。
なぜなら、人生の真昼に潜む秘密の時間に放物線が向きを変え、死が生まれるのだ。
人生の後半を象徴するのは上昇、進展、増大、繁栄ではなく、死である。
終わりが目標なのだから。
充実した人生を送ろうとしないのは、終わりを受け入れようとしないのと同じことである。
どちらも生きようとしないのだ。
生きようとしないことは、死のうとしないことである」
何か、私にとってこの文言は「葉隠」で有名な一説、「武士道といふは死ぬ事と見付けたり」と相通じるところがあると感じます。
私の解釈ではどちらも「人間は誰もが死に向かう。その死を満足させるには生きている日々を大切に充実させないといけない」と。
★「人生の正午」を起点に軌道修正した★
私の場合は様々ある道のなかで「セミリタイア」を目指すことになりました。
目標を目指す過程(セミリタイアへの道)もそして達成した以降の道も私にとって充実出来るのではないか。
愚痴は色々と出ますがね(苦笑)
セミリタイアを目指している人も多くのかたが、現状の生き方に満足できない、もしくは病んでしまった、または寸前の人が多いかと思います。
表面の精神状態は、私もそうでしたが「会社が辛い」「給料が低い」「何のために仕事をしているのか分からない」「人間関係がつらい」という人が多いのかと思います。
しかし深層心理ではユングの一説の通りで「充実した人生を送っていない自分に対しての不満」が大きいのではないでしょうか?
周りの人や環境のせいだと思っていたのですが、私の場合は「自分に対しての焦り」だったのです。
それに気づき始めたのは1年間休養した時くらいからです。
だったらすぐにやりたいことをすればいいって?
そんなことはほとんどの人は出来ないと思います。
私もそうです。
独身の人でも、肝心のお金が無いと出来る範囲は相当に限られます。
★逃げ道が無い場合は「立ち止まる」ことも大切★
このブログでは何度も言っていますが、本当に辛い時は自分の人生を見つめなおす意味で「立ち止まる」ことはとても大事だと私は思っています。
この世に無駄なことは何一つ無いと私は思っています。
逃げることだってれっきとした行動です。
休むことだってれっきとした行動です。
自分で「逃げたい」「休みたい」と思って考えた行動の一つです。
立派なことです。
絶対に無駄ではない!!
負ける?ことや傷つくことで分かることがいっぱいあると思います。
ただし辛い現場から逃げても自分の置かれた状態からは決して逃げてはいけないと思います。
じっくりと見つめなおしてください。
私も過去に1年間、精神的にどうしようもなくなり休養をとりました。
何ならそのまま会社を辞めようと考えていました。
その時に今まで時間が無くて出来なかったことや、「なぜ自分はこうなってしまったのか?」をずっと考えていました。
意外と自分で自分の事は分からないものなんですよね。
最初に思っていた「嫌なこと」を考えれば考えるほど、掘り下げれば掘り下げるほどに最初に感じていたことと違ったんです。
★自身の人生への「焦り」が表面化★
私の場合は恐縮ですが、昔のブログを読めば分かるかもしれませんが、「会社の待遇」「人間関係」「オーナーとの確執」が大きな原因とずっと思っていました。
しかし掘り下げれば掘り下げるほど違うことに気が付きました。
それは、
「自分への焦り」
です。
人生の折り返し地点を過ぎようとしているのに何も得ていないと感じる焦りからです。
それで私はセミリタイア(サイドFIRE)を目指し、違うステージに行こうと決めたのです。
多分ですが私の性格上、ゆっくりとした時間で自分と向き合うのが好きな性格です。
いわゆる内向的な性格。(だからといって人嫌いではありませんよ)
仕事をするにしてもじっくりと徹底的に向き合う方が向いている。
それを可能に出来るのがFIREなりサイドFIREなのかなと考えた次第です。
★充実した人生は人それぞれ★
充実した人生というのは人それぞれです。
好きな遊びに費やすのが充実した人生だという人もいるでしょう。
仕事を通して、社会に貢献をするというのも充実した人生の一つです。
100人いれば100通りあります。
まだまだいっぱいあります。
人生100年時代と言われる昨今、「若い時はセミリタイアを目指して資産を貯め、もしくは膨らまして、社会的信用や経験値を増やしてそれから本当にやりたい仕事や趣味をするっていうのもありなんじゃないか?」と言うことです。
道は色々とありますから強要はしません。
私の場合はこういう道を選択しただけです。
その生き方が自分には合っているのではないかと?
文化的な生活をする限り最低限のお金が必要です。
「無一文でセミリタイアしたい」って?
バカげています。
人間は社会性のある動物である限り、最低限の責任は伴います。
夢ややりたいことを追いかけるにはやり直しが何度も出来る本当に若い時か、逆にお金を貯めて経験や知識を得てから始めるかの二者択一です。(好きなものから食べるか、最後にとっておくかの違い?)
どちらかを選択しないと後で大変なことになります。
若くして夢に向かって走っても、成功しようが失敗しようがほとんどの人間がやめる時が来ます。
やめる時がくるんです!!
挫折した時は特にです。
色々と変化する今後の人生という現実面を考えなくてはいけませんからね。
ただひとつ大きく違うことがあります。
それは成功しようが挫折しようが「人生への満足感・充足感が全く違う」ということです。
自分の足で満足して次のステージに向かうことが出来る。
だから行動したことは間違いでは決してない。
もしかしたら私は若い時にこの満足感を得ることが出来なかったからこの年齢になって強烈に表層心理に出てきたのかもしれません。
だから人生の後半戦にやりたかったことを全部したくなった。
私の人生は常に「無難」、もしくは「どちらがお得か」のコスパ人生でした(苦笑)。
失敗を極度に恐れた。
人生において「早い」「遅い」は無いと思います。
若い時に夢ややりたいことを追求する場合は、満足して後に現実面と向き合い、
私のように40歳を過ぎたころに急に「今後の人生について」を考えた人はセミリタイアを目指して今後の充実した人生を目指すのも良いと思います。
※ただしやれることと出来ないことは年齢を負うごとに増えますがね。
私が40歳を過ぎ「人生の正午」で自分の今後の人生について強烈に悩んだのも、
ユングの「充実した人生を送ろうとしないのは、
終わりを受け入れようとしないのと同じことである。」
この一説に尽きるかもしれません。
今のままでは「終わり」を受け入れることが出来ない!!
人生の終わりを考える年齢になって初めて「自分の人生とは?」を考え悩んだ。
このままでは終わりを受け入れることが出来ないと思えてきました。
結果私は、
20年以上もしている仕事の集大成を目指すことと、それを活かした新しい価値をつくること。
「色々な世界を見てみたい」を実現するには時間と最低限のお金が必要となるためセミリタイアを目指す必要がある。
の二つでした。
成功することに越したことは無いですが、大切なのは行動するかしないかだけ!!
物事に大小なんてありません。
小さな幸せだって立派な幸せです。
他人と比較する必要なんてないんだから。